第一回 母親来襲


「息子よ。何故生きているのです?」
  着物姿で、黙っていれば和風美人の母親は、息子に入れ直しさせた緑茶を上品に持ち、尋ねてきた。息子、幸太は慣れない正座をしながら、心の中で激しく母親に突っ込んだ。
(何故生きているのですって……そりゃねーだろ。フツウ。死ねばよかったのかよ)
「あなたが家を出てから、今か今かと待っていたのよ? 危篤の連絡を受けるのを。おかしいわねえ……」
  散らかり放題の六畳一間アパートという空間に、母親は似つかわしくなかった。旧家でお茶の先生とかをしているほうが似合いそうな人間だ。そして、それはまあ、事実だ。先生と呼ばれ、母親が地元では尊敬されているのを、幸太は知っている。
 おまけに外面が異様にいい。高校生の息子がいるというのに、見た目が二十代後半なんて、若い娘の生き血を啜っているのでは、と常々幸太は疑っている。そういうことをしかねない。実年齢は三十九歳なのに。
「幸太さん。今、良からぬことを考えましたね」
「いえ。滅相もございません。おかーさま」
「嘘おっしゃい。わたくしにはわかりますよ。離れてくらすうちに、躾を忘れてしまったのね。再度教育が必要かしら……」
  キラン、と母親の目が光った。誇張ではない。いや、落ち着け。と幸太は自分に言い聞かせた。俺だって、伊達に一人暮らしをして世の中のあれこれを知ったのだ。
「お母様。話がそれています。ご用件は何でしょうか」
  母親は、わずかに首を傾げ、じーっと幸太を見つめた。
「……やはり、ピンピンしていますね」
「は?」
「よくお聞きなさい。ボンダラビッチ様のお告げによると、お前はわが家の加護下から出ると、死にそうな怪我をするはずだったのです」
(そーかそーか。そのせいで俺は現に事故って……って、ボンダラビッチ?)
  ボンダラビッチ……。初めて耳にした、とスルーしたい名称だ。
 生憎、不本意なことに、かつ悲しむべきことに、知っている名称だった。
  白状します。俺の母親はいっちゃってます。江口家そのものもいっちゃってます。現在進行形で、お前ん家、いっちゃってるよな。そんな風に思っている人様の家があるんですが、ウチもタメをはれます。現に、お告げ、とかもナチュナルに母親が口にしちゃってます。
(いや、今までは、どの家と比べても断然ウチのが異常だったわけだから、タメをはれるだけマシだよな)
 その渦中の家族のことを思い浮かべ、幸太はうん、と思いを新たにした。
 やはり、あそこの家はウチとタメをはれる。ウチに優るとも劣らない。
「でも、お前が無事だということは、ボンダラビッチ様が密かにお前を守ってくれていたからかもしれません」
  母親は、不穏な一言を付け足して下さった。
「──幸太さんは、ボンダラビッチ様に気に入られていますから」
  寒気が背筋を走り抜けた。気に入られてる。る。るる、る。不吉な。
「今回は、そのこともあって、わたくしがわざわざ、このような不浄の場所に赴いたのです」
  そーですか、そーですか。お母様にとっては、江口家以外は不浄でしょうよ。へ。
  心の内で舌を出した。母親は細い眉をとがらせる。
「また、わたくしを侮辱しましたね?  教育的指導!」
「うおっ?」
  吹っ飛んだ。本当である。幸太は室内を吹っ飛び、テレビにぶつかって呻いた。
 久しぶりだ。
 実家にいた頃は、この指導は日常茶飯事だった。母親は、手を動かすことなく、息子を痛めつけるのである。ホホ、とお上品に笑いながら。
  この妖怪女め。息子は母親を力一杯罵った。心の中で。母親に逆らうことなかれ、という学習能力は、母親との衝突の度に、一時消去されてしまう。
  無論、母親は息子の罵りをバッチリと聞いていた。しかし……彼女は別のことに気をとられていた。
「あらあら。息子よ?  わたくし、手加減していないのに、やはり傷一つないわね?  普通なら、肋骨ぐらい折れているかもしれなくてよ?」
  折れるのかよ。手加減してないのかよ。あんた、親かよ?
「あやしい……」
  頬に手を添えて母は、蒼白になった息子を見据えている。母はにこっと笑った。
「幸太ちゃん?  お母さんに内緒にしてること、あるでしょ?」
  ちゃん付け。人生何番目かの危機を幸太は感じた。後ろ手でテレビに助けを求めようとしてしまうほど、追い詰められていた。この母親が、いきなりフレンドリーになってきた時は、危険指数百以上なのだ。何故なのかは問われても答えられるものではない。
 しいていうなら、長年の経験と勘による。
  ズズイッと正座姿のままで、母親は前進してきた。立ってない。歩いてないのに、そのままの姿勢で近づいてきたのだ。つくづく幸太は思う。この母は人間の皮をかぶった妖怪変化に違いない。
「妖怪などではありません。わたくしに、ボンダラビッチ様の最も強い加護がおりているせいです。失礼な」
「ボンダラビッチ……」
「そうですよ。ボンダラビッチ様々です。江口家の守り神です。次期当主はお前なのですから、母を妖怪呼ばわりしている場合ではありませんよ」
「美弥が継ぐんだろっ?  家は。俺はボンダラビッチなんぞ受け継がねーぞっ」
  何のために幸太が大金持ちの実家を出たと思っているのだ。家を出て一人暮らしをはじめ、即効に事故ったのは母親には内緒だった。それもこれも、ボンダラビッチの継承から逃れるためだ。
「それは無理よ?  幸太ちゃん。ボンダラビッチ様は、幸太がお気に入りなの。美弥はあまりお好きでないのですって。きつい子だから、反りがあわないのかしらねえ」
  ふう、と母はため息をついた。
「幸太ちゃんの態度も問題だけれど、美弥もボンダラビッチ様のありがたさをどうもよくわかっていないようだわ」
 いや、あんたもわかってないだろ。
 心で呟いたのに、母親は普通に返してきた。
「あら、大切に思っていますよ? ……それなりに」
「それなりって……」
「お母さんはそれなりでもよいけれど、幸太には心の奥底からボンダラビッチ様のありがたさをわかってもらわないと」
  雲行きが怪しい。
  この口調は──来る!
  何が?
  決まっている。ボンダラビッチ昔物語、だ。


  そもそも江口家がボンダラビッチ様の加護下に入ったのは江戸時代、享保の大飢饉まで逆上ります。江口家のご先祖様は下層の農民でした。搾取され、搾取され、搾取されて搾取されて、どこまでいっても搾取され虐げられ、辛い時は最もダメージを受ける救いようがない階層のお人だったのです。
  職業も、いきなり武士になりたい!  なんて思ってもかなう時代でもなかったのです。
 今は本人の努力いかんで慣れないものは王族ぐらいでしょう?  いい世の中になったものねえ。あら、話がそれたわ。
  そう、享保の大飢饉が起こったのです。ご先祖様も飢饉に苦しまれました。隣家の者が飢えで死に、道端の草すら、食べ尽くしてしまい、ご先祖様も、死を待つのみになりました。そんな時です。
  ご先祖様の住む村に、幕府に追われた化け物がやってきました。徳川幕府は、怪しげな呪術を使い、幕府の安泰をはかろうと、いろいろ模索していたのです。けれども失敗して、扱い切れない化け物を作り出してしまった。化け物は逃走し、幕府はそれを追う。
  そんな顛末があって、ご先祖様は化け物を目にします。
  ここからがご先祖様の偉い所です。村人たちが幕府の役人に唯々諾々と従う中、ご先祖様だけが化け物を庇い、家に匿ったのです。
  民が飢饉であえいでいるのに、化け物狩りをしているなんて、役人に腹が立ったのでしょうね。いつの時代も、お上というのは決して民本位ではないのですもの。
  そして、そう、ご先祖様が匿った化け物こそボンダラビッチ様なのです。
  ボンダラビッチ様は主を欲していました。ボンダラビッチ様ったら、幕府の役人が気に入らなかったのですって。それで逃げ出してしまったのだけれど、ご先祖様に出会えたのだから、運命だったのでしょうね。江口家とボンダラビッチ様は赤い糸で結ばれているのです。
  そんなこんなでご先祖様は、ボンダラビッチ様と契約を結びました。するとあら不思議。ご先祖様はハイパーに生まれ変わったのです。幕府の役人も返り討ちにしてしまいました。以後、ボンダラビッチ様により、江口家は富み栄え、今に至るのです。
  ボンダラビッチ様はありがたい守り神なのですよ。
「わかってますか?  幸太ちゃん?」
  語りに没頭していた江口修子は先ほど息子がへたりこんでいた場所に視線を向け、「あら?」と目を細めた。沈黙が落ちる。
 テレビに一枚の紙がはりつけてあった。

『お母様へ。
 ボクは急用を思い出したので、ちょっとお出かけしてきます。
 帰りは遅くなるので、どうぞお母様はホテルなり、なんなり、ここではないどこかへお帰りください。
 ボクの家はお母様の好みではないので、長期滞在には向かないと思います。
 これはお母様のために言っています。
 決して自分のためじゃありません。
 つーか、ホント、帰ってください』

 ちょいっと、彼女は人差し指を自らの方向へと折り曲げた。
 紙が吹っ飛んできた。ボンダラビッチ力の賜物である。
 読む。
「…………」
 数秒経過。
「フフ……。幸太ちゃんったら、お母さんの話の途中でいなくなるなんて……」
  幸太がこの場にいたなら、こう評していたろう。母親からどす黒いオーラが放出されていると。
 江口修子はお上品に口元に手をやった。
「お仕置きが必要ね」
  修子さんがかなり本気で怒っているのには、息子が出ていったのに気づかなかった自分の不覚を悔いている、という自分本位な理由もあったりする。
「やるようになったこと」
  ついでに、息子の成長を嬉しくも思っていた。この自分の目を欺けるようになったとは。自分の知らない間に、息子は大分精進したようだ。
「手加減は無用ね」
 彼女は幸太の置き手紙を綺麗に折りたたむと、懐にしまった。
「さて、追おうかしら……。あ、でもその前に」
 修子さんは息子のアパートを見渡し、目的の品を発見した。
 彼女はどこぞへと電話をかけた。


「っ?」
 今、ぞくっと、背中に寒気が走った。
「あの妖怪変化め……」
 きっとそうだ。そうに違いない。江口修子。彼女が、何らかの負のパワーを送ってきているに違いないのだ。
 ちっと幸太は舌打ちする。
「やっぱ、置手紙ぐらいじゃ納得しないか……」
 苦渋の決断だった。何も伝言を残しておかなくとも、母親は怒るだろう。かといって残しておいても怒る。用は、どちらが怒りの比重が大きいかだ。
 幸太は、決して母親が嫌いなわけではない。愛情はある。あるのだ。
 ただし! ただし、だ。なにしろ環境が特殊だったものだから、敬遠癖がついている。遠くから見守っていて欲しい存在。そして、こちらも遠くから見守っていた存在。
 それが、幸太にとっての母親だ。
 何より。
 ボンダラビッチなんていらん。
 これ以上、問題のタネを背負い込みたくない。携帯が鳴った。非通知着信だ。幸太は自分で購入したものと、とある筋から配給された携帯の、二つを常に所持している。今鳴ったのは後者だった。ほら来た。問題のタネその一からの呼び出しだ。
 幸太はため息を一つつくと、携帯電話を耳にあてた。
「――へーい?」
『白き金。あなた、まだ構成員ぐせが抜けないの? 幹部になったんだから、人語を話せってボスに注意されたじゃない?』
 いつも、思うけど。なんで俺って白き金なわけ? なんでそんな幹部名?
 そんなに守銭奴じみてるのか? 俺は、と幸太は白き金と呼ばれるたびに、内心ひどく憤慨している。
 電話の相手は声からすると小巻だ。白き……何だったっけ。以前も忘れていたが、また幹部名を忘れてしまった。ま、いいや。
「――へーい」
『っ。……ふ。大人気ないわね。私ったら。クソガキ相手に本気になるなんて』
 そう言っているあたり、すでに大人気ない。
「へーい。へーい」
 幸太、棒読みで連発。
『……何かしら。へーい語って、たまにすんげえムカつくわね……』
「へーい?」
『っっっ』
 見える。小巻が怒りにぷるぷる震えている姿が。で、たぶん周りにいる下っ端構成員たちが笑っているのだ。だって、バックからへーい笑いが漏れ聞こえているから。
『うるさい。あんたたち、黙りなさい!』
 小巻の側からの、幸太にも聞こえていた、バックミュージックだった、へーい語会話とへーい笑いがピタリと止んだ。どうも、他の構成員(ショッ○ー)たちも集められているらしい。
(まーたどうしようもない作戦考えたのか? 俺、母親が来てるから派手な騒ぎは起したくないんだけどなあ)
 母、修子の鼻はきく。しかも。
 幸太は自分に用意されている幹部専用の衣装を思い出し、身震いした。あんなのを着た姿を目撃された日には!
 ダメージ五百倍だ。
 ちなみに、着ているだけで、本人もダメージ百ぐらいは負っている。着るたびに身を削られるような思いを味わっている。
「……それでも、衣装第一弾よりは、マシになったほう、だよな……」
 フ。
 幸太は道端の往来で遠い目をしていた。棒立ちで達観した様子の幸太にチロチロと不審の視線が集まったが、本人は気づいていない。
 回想中だ。
 そう、それは、眩しい白衣装。現在放映中の『プリンス戦隊ゴーゴーゴー』という特撮ものを参考にし、あまつさえ改悪した王子様ルックの衣装。白タイツにとんがり靴にかぼちゃパンツだった。かぼちゃパンツ、だ。幸太の必死の抵抗により、デザイン変更がなされ、現在は衣装第二弾だ。
 これは、白マント。白いシルクハット。白スーツ。顔面全体を覆う仮面が主だ。王子様ルック時は、仮面は目専用のものしかなかったから、それだけでも大分いい。何かに似ているような気もするが、気にしない。気にしないったらしないのだ。
 ――すべては、事故って死に掛けたことから始まった。
 運びこまれた病院が、悪の結社の『白き刃』の息のかかったところだった。
 死にかけの幸太を結社は構成員へと改造。怪我が完治したどころか、幸太の身体能力は飛躍的にアップした。人造人間は強い。それに、改造されなかったらたぶん死亡していたであろうから、『白き刃』には感謝していないでもない。へーい、へーい、と問答無用で働かされていたが。
 いい給料はもらえていたし、幸太と同じような理由等で強制的に改造されてしまった他の構成員たちとも、たまにプライベートでも遊びに出かけるほど仲がいいし。しかも構成員はどうしてそういう面子になったのか、結構多国籍だから、いろいろな人種と知り合えた。インターナショナル。
 構成員時代が懐かしい。もはや、幸太はそうではないのだ。
 昇進試験といざこざのせいで、悪の結社の第六の幹部、『白き金』になってしまった。
 下っ端は気楽だったのに。でも今でも心はショッ○ーだったりする。
「『白き金』、か……。しかも、ボスがアレだしなあ」
 ――なんでこんなことになっちゃったんだろう。
『……なのよ。聞いてるの? 白き金!』
「……へーい。へーいへーい。へーい? へーいへーいへーい」
 訳。うっせバーカバーカ、バーカ? 俺は悩んでんだよ。
 こんなことを堂々と言えるのもへーい語ならではだ。やっぱりへーい語はいい。へーい語とは、「白き刃」、悪の結社の幹部より下の構成員限定特殊言語だ。もしかして、改造された後遺症でへーい語を操れるようになるのかもしれない。
「へーい。へーい。へーーーーーーい」
 訳。聞こえてんだろ、皆。誰かかわってプリーズ。
『へーいっ』
『こら! お前たち! 構成員の分際でっ』
 小巻の動揺した声と同時に、応対の相手が切り替わった。この声はノラン君だろう。構成員たちは皆フレンドリーないい奴ばかりで、仲間同士も仲がいいが、幸太はノラン君と一番交流が深い。必殺共同キックと同時回転竜巻移動を彼と編み出したほどだ。
 そんなノラン君はインドネシア出身だと幸太もつい最近知った。不法入国者だったのだが、結社の権力を用いて大学に通っている勤労大学生だ。改造されて病にかかっていたのもバッチリ完治。
『へーい?』
「へーい。へーい?」
『――へーい。へーい、へーい、へーい。へい?』
『『『『へーい!』』』』
「へーいっ? へーい……。へーい? へーい」
『……へーーーい?』
「へーいっ。へーいっ」
『へーい……』
「へーい。へーい」
『へーいへーい』
「へーい。へーいっ!」
『へーい』
 交渉成立。構成員同志でしか正確な所は伝わらないであろう全会話内容はこんな感じだ。
 訳。もっしもーし?
 訳。もしもし。あのー、今回の収集って、俺、ちょっと辞退したいんスけど。
 訳。オーノー。ヤバイなあ、それ。皆集められてるんだよー。ボス発案のビッグイベントだってさー。ね、皆。
 訳。(構成員一同)そうそう!
 訳。マジッすかーっ? 俺ちょっと用事があるんですよ……。せめて遅れて行くのって無理ですかね。仕方ないから行くことには行くんで。
 訳。……いくら出す?
 訳。金とるんですかっ? 殺生なっ。この間アパート探し付き合ったのにっ。
 訳。今月ボクピンチなの。祖国への仕送りが……。
 訳。頼みますって。俺も今月ピンチです。
 訳。冗談冗談。構成員仲間からはお金なんてとらないよー。あははー。いいよ、適当に説明しとくから。でもちゃんと来てよ。ボスが暴れるからー。
 訳。わかりました。んじゃっ!
 訳。バイバーイ。
 というような次第で、幸太は携帯を切った。
 顔を上げ……こう、突き刺さるような白い視線をようやく実感する。道行く人が、メッチャ見てる。
「…………」
 へーい語を堂々と連発してりゃ、そりゃ白い目で見られる。


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