第二回 皆木さん家模様


 ちょうどそのころ、白い目で見られている幸太とは逆に、白い目を両親に向けている人間がいた。皆木京語である。幸太の言うところの、「ウチとタメをはれる家」に生まれた暗い青春爆走中の一人息子である。
 妻の電話が終わったのを見計らい、夫は愛する妻を呼び寄せた。
「でね、サキちゃん。結婚記念日は奮発してヨーロッパ旅行にしようと思うんだ」
「そんなものいらないわ。ヨッちゃんとこうして一緒にいられるだけで私は幸せよ」
「サキちゃん!」
「ヨッちゃん!」
「…………」
 京語は、額を押さえた。
 我が親ながら、リビングで繰り広げられている、この、あまりのバカップルぶりに、言葉が出ない。家中では、いつも大抵、二人はこんなだ。何かしら話題を見つけては、愛を深め合っている。
 つーか、今年の結婚記念日三日前に終わってんだよ。
 はやくも三百六十二日後の話を、するな。頼むから。
「あのな、親父、お袋」
 妻とイチャイチャしていた父親は、ん? と息子を顧みた。
「わかってる。京語の誕生日にもスペシャルなプレゼントを用意しているから、安心しなさい。父さんがライダーだった頃に愛用……」
 ……アホか。
「いらん」
 即答だ。見当違いも甚だしい。この年で誕生日プレゼントなんてねだりなどしない。かつ、ライダー関係のものなど、捨て……。
「ううっ」
 父親は、息子の冷たい態度に、極度に打たれ弱かった。しかし、まだ鼻水垂らして泣き出さない分、深刻ではない。でも、ちょっと泣きそう。
「さ、さいきん、京語、冷たくないか? 他の子たちは、素直で、心から平和のために戦おうとしているのに! ブルーも、イエローも、グリーンも! 京語だけなんだぞっ。そんななのはっ。ウチがライダーの中心なのにっ」
 ヒクっと京語の頬が痙攣した。自分だけ現実逃避してやがるくせに、何をほざくか。据わった目つきで言う。
「――親父、ちょっと話がある。二人で」
「あら。母さんは無視? 男の子って、父親にしか言えないことがあるっていうけど、それ? ずるい」
 三十九歳にもかかわらず、非常に若く見え、近所でも美人と評判の母親は、少し不満げだ。除け者にされたこともさることながら、要するに、愛しのヨッちゃんのラブタイムをたとえ息子にしろ邪魔されたことによる。
 大きく京語は頷く。
「そう。だよな? 親父? あるよな? 話。男同士で、語り合わなけりゃならないことが」
「……う。そ、そう、かも、な」
 父親は気おされている。察した妻が加勢した。
「京語! お父さんを苛めるつもりじゃないでしょうね! この前も泣かせたでしょ! 母さんが許しませんっ」
「……くっ」
 息子は、親たちに一旦背を向けた。
 すーはーすーはー深呼吸。落ち着けーオレ。平常心、平常心。一秒、二秒……。よし、いいぞ。
 それを、不安げにサキが見守る。京語、ストレスたまってるのかしら、と母親として心配している。父親のほうは、何故そんなことをしているのかわかってしまったので、戦々恐々だ。
「――親父。話」
 振り返った京語はクイっと顎で和室を指し示す。これまで、父親が京語のライダー教育に使用してきた部屋だ。ライダーものと戦隊ものの番組視聴、口上練習、エトセトラ、は、そこで行われてきた。完全防音設計だ。
 ……最近は、もっぱら、京語が父親と内密の話をするのに利用されていたりする。
 父親は、サキちゃんに救いをもとめかけたが――。
「お・や・じ?」
 ふざけんじゃねえぞコラ、という息子の眼力を受け、渋々とその父親、元ライダーは立ち上がった。
 京語はむんずと父親の腕を掴む。引きずられるようにして、彼は愛する妻と引き離された。
「サキちゃん……」
「ヨッちゃん……」
 まるで、ロミオとジュリエットのようだ。目と目で語り合っている。移動するとはいっても所詮同じ家屋内、何を今生の別ればりのやりとりをしているのだろう。
 まったく、ウチの親は。
 思いっきり、 ピシャン! と京語はこれみよがしに和室の襖を閉め、未練がましい夫婦のやり取りを打ち切らせた。
「ああ……」
「ああ、じゃねえ!」
「だってサキちゃんの姿が見えなくなったんだぞ? 父さんはサキちゃんが心配で心配で! 片時も目を離していたくないんだ!」
「んじゃあ現実逃避すんなよっ。母さんが白きじょ」
「あーああーあーあーっ!」
 唐突な雄叫びで父親は息子の言葉を遮った。
「母さんがしろ」
「あーあああああーあーっッ!!!」
「…………」
「…………」
 父と子は睨み合った。不倶戴天の敵と遭遇したかのように。心なしか、父親にはライダー時代の勇姿が時をこえ、蘇っていた。
「京語! 母さんは母さんだ! そうだろうっ? 父さんにとっても、サキちゃんはサキちゃんなんだ。それはわかってくれるな?」
 熱い情熱が父親の双眸で燃え盛っている。
「ぜんっぜん、まったく。これっぽっちも」
 微塵の迷いもなかった。きっぱりはっきりとしたこれ以上はないというほどの即答である。京語の冷め切った瞳と口が放った否定は、強力瞬間消火器なみの威力を発揮した。
 燃え盛っていた情熱の炎、鎮火。それにともない、父親の勇姿、霧散。
「あっちモードの時の母さんは、『白き刃』のボスだろ。どう考えてみても」
 だいたいな、正義の味方? あ、オレ、まだライダーになるのを認めたわけじゃないから。そんで正義の味方だ。なんだっけ? 親父の昔っからの口癖。
 愛と友情と平和を思う心がライダー同士には必須で、それが世界を救うんだったけ?
 ――だったらさあ。
 もうすでにこうして秘密を抱え持ってる時点で、ダメだろ。母さんが悪の結社のボ。
「うっ。グス」
 京語はギョッとした。
 もう、父親が泣き出すのには慣れたし、鼻水を垂らしてもいるのもいい。いや、ホントはよくないのだが、もう、諦めた。
 ただ、今日はバージョンアップしていた。
 『ヒーローは不滅』とヘッタクソな字(京語の父親作)で記された掛け軸の前に正座し、畳に歴代ライダーの名前を指で書いている。父親は暗記しているのだ。
 ……ただ、不本意ながら、京語も、暗記は、している。人生の汚点のトップテンに入る事柄だと自覚はある。そらで歴代ライダーの名前を言えてしまうなんて、記憶細胞の無駄遣いだ。
 大変遺憾である。
「グスっ。どうして京語はこんなにヒネちゃったんでしょう。ご先祖様。私の教育方針が甘すぎたんでしょうか? 番組視聴は二時間だけじゃなくて四時間にすべきだったんですね?」
 なんか、話してる。二時間から四時間とかいう次元の問題でもない。
 不気味に思った京語はちょっぴり父親から後ずさった。
 十三代目ライダーの名、畳に連ねていたのが紅疾風ライダーの名にさしかかった所で京語の父親、皆木住吉は、大きく頷いた。
「……そうですか。京語は照れてるだけですか。心にマグマが燃えたぎってるのを悟られたくないシャイボーイなんですね。ウチはレッドの家系だけどブルーみたいな感じですか……」
 チーン、と住吉はテーブルにのっていたボックスティッシュからティッシュを一枚取り出し、鼻をかんだ。
「いや……あのさ、燃えたぎってないから。三歳の頃からすでに」
 住吉は聞いちゃいない。なんか、まだ話してる。
「でもですね。私は熱血ライダーに育って欲しかったんですよ。クールなシャイボーイじゃなくて! この、私のように!」
 聞いちゃいない度マックス。何と話してるんだよ、不気味度マックス。
「…………」
 京語は、諦めた。父親を放置し、襖を開けた。母を呼んだ。
「お袋、親父が……」
 アレ、と指差す。
 暇になったのか、ワイドショーを鑑賞中だったサキは目を見開き、息子を叱り飛ばした。
「なんてことするの! お父さんを苛めるなって、いつも言ってるでしょう! ご先祖様と話し出すなんて……重症だわ。とっても傷つけられたのね、可哀想なヨッちゃん」
 サキは夫へと駆け寄った。夫の背中を撫でてやっている。
「よしよし、ヨッちゃん。もう大丈夫よ」
 住吉は震えながら、妻を見つめた。
「サキちゃん……。京語がっ。京語が! ううっ」
「大丈夫よ。親子だもの。京語もいつか、わかってくれるから」
 いや、いつかはないから。
 絶対に。
(でも……言っても無駄なんだろうな)
 フ。京語は虚ろな笑みを浮かべた。はあ。今日も失敗に終わってしまった。
 正義の味方内部の不和と切り崩し工作のために、父親の協力を取り付けようとしたのだが。まあ、協力とはいっても、父親には話せないことも多いので、うまく利用したかった、というのが実状だ。
 京語はドライだった。
 ――疲れる。
 しかし、失敗は失敗だ。幸太に連絡を入れる必要がある。父親と引き合わせて三人で作戦を練る予定だった。今日こそはうまくいくと思い、呼んだのだ。
 何故か、幸太は父親に受けがいい。
 ショッ○ー……じゃなかった、敵対組織の幹部なのに。そんなことに父親は気づこうともしない。
 フ。虚ろな笑みが深くなる。
(お袋の正体にも気づいてなかったんだ。親父の観察眼なんかあてにしたって)
 無駄無駄無駄無駄。
 とにもかくにも、携帯を取り出そうとした時だった。
 ピンポーン。
 インターホンが鳴った。


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