第四回 母メール


「お母さん、お買い物に行ってくるわね。京語、勝利君を苛めちゃダメよ」
 住吉が消えたと思ったら、今度地下へ降りて来たのはサキだった。お盆に柏餅をのせ、これ、食べてね? と秘密基地の作戦テーブル(らしき場所)へ置く。幸太がそれを作戦テーブルだと思ったのは、そこに第××回秘密作戦書なるものがでかでかと広げられていたからだ。正義の味方陣営は、今月は成瀬、通称『白き狼』に的を絞っているもようだ。集中攻撃する予定だそうだ。良いことだ。
「お袋……」
「京語はヨッちゃんや勝利君や他のライダーには厳しいから……」
 やれやれ、とサキは頬に手を添える。幸太が口を挟んだ。
「あのー。京語のお母さん。お買い物って……」
「なんだかね。おばさん、とっても買い物に行きたい気分なのよ」
 アジトか。白き刃のアジトにボスモードで出勤か。なにせ、ノラン君によると、今回の集合は、サキ発案によるものだ。本人も、行くだろう。どうせろくでもないイベントに違いない。想像するだけでだるい。だるすぎる。
 幸太と京語の視線が合った。
『もしかしてお袋、ボスモード発動目前か』
『目前だ』
 という目会話だ。京語の対応は早かった。
「お袋」
 京語としては、母親がボスモードになるのは、耐え難い恥辱だ。なんせ、ボスモード『白き女王』時のサキちゃんの格好といったら、ジョリホイサーカスに出演予定の、電球付きクジャク羽根背負ってるスターもどきでイメージカラーは白。眼鏡風仮面付き、な露出度高い女? 推定三十以上、なのだ。
 最近は、羽付きマフラーも衣装の内に入るようになった。身内の恥は、己の恥である。ボス云々よりも、母親のボスモードの時の格好と言動の方が京語にとっては痛い。痛すぎる。ホーホッホッホッ! とかますのだ、『白き女王は』! そんな母親イヤだ。
「な、なによ。どうしたの? 京語」
「買い物は、行かなくていい。頼むから家にいてくれ」
 京語はメチャクチャ真剣だ。母親の両肩に手をのせた。幸太も、頑張れよー、と柏餅をありがたくいただき、幸太なりに応援している、心の中で。勝利も柏餅を食っている。
「これ、グリーンの営んでいる老舗和菓子店のだね」
「へー」
「ははっ。今の、白き刃の構成員のへーいってのに似てたなあ!」
「気のせい気のせい。ははっ」
 勝利を真似て幸太は爽やかに笑った。残念ながら歯がキラリ、は真似できなかった。意外と高尚な技術なのかもしれない。ちなみに、やはり勝利の歯はキラリ、としている。
「だよねえ。うまいなあ、江口君は!」
 和やかに柏餅に舌鼓をうち、平和に雑談している。その間も、京語の説得は続く。
「な?」
「でも……お買い物は主婦の日課なのよ?」
「じゃ、何買うんだよ? まだスーパーも商店街も開店して間もないぞ。いつもは夕飯の買出しどきに買い物だろ?」
「確かに、そんな、急に入用なものばかりじゃないけど……」
「どうしてもっていうんなら、オレが買い物に行く」
「京語が?」
 まあ、珍しい。普段、実家に寄り付くことすら嫌う子なのに、とサキは雹でも降り始めるのではないかと不安になった。
「だから、お袋は家にいてくれ。ほら、さっき電話あったろ? あれ、昔の友達だろ? その人呼んでもいいし」
「――そう? それじゃあ……」
 押されて、という形ではあるものの、サキは頷いた。
「買って来てもらうもの、メモしてくるわね」
 と、階段をあがっていく。吐息をついた京語が背後を顧みると、白き金とブルーライダーはグリーンライダーの生家である老舗和菓子店『おざきや』の話で弾んでいた。
「『おざきや』ってあそこだろ? 三丁目の。あそこさあ、イチゴ大福一個千円って聞いたけど、あれってどうよ? 美味いの? 単なる暴利?」
「あそこはね……明治時代創業で、政府高官の御用達だったところだから……敷居が高いんだよ」
「へー」
 勝利は餅を食べてもキラリと光る前歯を見せ笑った。
「ははっ。江口君のへーって、やっぱりへーい、に似てるよ、すごく」
「だから気のせいだって、ははっ!」
 ヤバい、と京語は危機感を覚えた。幸太を部屋の隅へと強制連行する。
「んだよ?」
 柏餅を食べまくっている(京語の分も消えそうだ)勝利を示し、京語は小声で囁いた。
「あいつは変身前も変身後も弱いし正義熱血バカだが、変身前も変身後も、ある共通項がある」
 幸太は、変身後は正義熱血バカってお前もだよな、と思ったが黙っておいた。触れてはならぬこともある。よって、促すだけにとどめておく。
「共通項?」
 京語は重々しく頷いた。
「――頭が切れる。お袋のことを一番はやくに嗅ぎつけるとしたら、アイツだ。まあ、お袋は無意識にボスやってるから、あいつも今は疑ってないだろうけどな。お前の場合は、ボロを出すとばれるぞ。歯がキラリと弱いのとに騙されるな。正義の味方どもはな――」
 京語は一瞬、遠い目をした。
「奴らはな……皆、親父に毒されてるし、毒されてなくても皆正義に毒されてるし、おまけに実際弱かったり、中には強い奴もいたりして、さらに全員、一筋縄じゃあいかない。特に元宮は要注意だ」
 と、いうことは。
「小声っても、こんな会話してんのもヤバいんじゃねえ?」
「それは問題ない」
「なんで」
「あいつ、あの年で耳遠いから。ホントに」
「……そうなの」
「そう」
 深々と京語は頷いている。
 正義の味方って変。
 幸太は思いを新たにした。壁にかかっている正義印の賭け時計(盤になんたらライダーがプリントされている、あとお世辞にも綺麗とはいえない墨字でなんか書いてある。解読不能)の時刻に、一時間も皆木家にお邪魔していることに気づいた。
 そろそろアジトに行かないと、構成員の皆から総スカンだ。
 構成員同士の、あくまで構成員同士の、結束はかたい。
「――ま、わかったよ。んじゃ、帰るわ。俺」
 ここから先はさらなる小声で続ける。
「想像ついてるだろうけどな、これから結社の方で何かイベントらしくてさ。呼ばれてんだよ。予定通りお前ん家にも寄ってみたけど、親父さんも仕事にいっちまったし」
 住吉丸め込み作戦も実行しようがない。当初の目的が消失している。
「……できればお前にお袋を見張っててもらおうと思ってたんだが」
「冗談ぬかせ。ブルーライダーにそれとなく頼めよ」
「……あいつに?」
 勝利は、幸せそうに柏餅を食している。彼はグリーンの生家の和菓子は全部大好きだ。和菓子全般も大好きだ。
「だってお前、買い物お袋さんのかわりに行くだろ? 俺も出勤。嫌だけど。残るはブルーだけ」
 至極簡単な図式だが、京語は不満そうだ。
「あいつの助けを借りるのか……」
 正義の味方仲間に助けてもらうという事自体が、京語は気に入らなかった。京語は可能な限り、ライダーどもとは断固とした距離を置き、交流を深めるなんてことは勿論てんで御免であり、話したくも会いたくもないのだ。
「――折れるべきところは、観念して折れとけ」
「くっ」
 いろいろ大変だなあ、こいつも。気苦労が多くて、と幸太が京語の肩をポンポンと――最近、幸太はこうして京語を宥めてやることが多い――叩いた時だった。
 バイブにしてジーンズのポケットに突っ込んでいた私物の方の携帯が震えた。ほどなくして振動はおさまったので、どうやらメールが着信したようだ。アドレスは、親、これは、父親にしか教えていないし、妹にも――妹もどちらかというと危険な修子よりのタイプなので勿論教えていない。学校のクラスメイトだろうか。
 見る。
「っ!!!」
 幸太は携帯を投げ捨てた。錯乱一歩手前だ。
「お、おい?」
「あの妖怪変化。どうやってメアドを……いや! もはやすでに俺は監視されている? 監視されてるのかッ? 怖ええええーっ」
 携帯を拾い上げてやった京語は、受信メールをのぞきこみ、わけがわからない、という顔をした。
 メールの内容は、
『幸太さんへ
 お母さんは昔のお友達に会う予定があるので、一旦アパートから出ました。
 夕方には帰ります。あなたも戻っておくように。けれどわたくしはその前にお前のことも捜していますから、そのことも忘れないように。
 母より』
 である。
 親からのメールなど、そう珍しくもないはずだが……。
 あまりの恐怖と襲いくる危機感に、幸太の白目部分は増大していた。
「くそっ。これもボンダラビッチパワーかっ!」
「ぼんだら……」
「びっち?」
 京語と、餅を食べるのはしっかりと忘れずに、しかし幸太の奇行にビックリの勝利が繰り返す。幸太の叫びは大きかったので、耳が遠い勝利にも聞こえていた。
「あー! 一箇所になんてとどまっていられねえ! 動き回ってないとっ! んじゃな! 俺行くわ! その携帯は、今日預かっといてくれ!」
 言い捨てると、幸太は目にもとまらぬ早さで駆け出した。ヒュンッ、だ。改造されちゃっているので、素でいると高速になってしまうのだ。
 いちじんの風を残し、幸太は去った。
 柏餅の葉が、ふわふわと地下室を舞った。
「……ん?」
 携帯を押しつけられてしまった京語は不審な点を発見した。送り主、幸太の母親のメールアドレスの記載が、メールのどこにもない。通常、送られてきた場合に、記されているはずのものがないのだ。他は完璧なのに。これは、そうやすやすと消せるものではないはずだ。偽装ならともかく。
 ――どうやって幸太の母親は、メールを送ったのだろう?
「……そうか」
 京語は悟った。だてにライダーまみれの暗い青春をおくってなどいない。
「あいつの母親も……」
 不思議ちゃんなんだな。しかもたぶんホンモノ。京語は深く幸太に共感し、同情した。
 入れ替わりに戻ってきたサキが、一人消えた室内に心持ち首を傾げる。
「京語、メモしてきたんだけど……。あら、幸太君帰っちゃったの?」
「急用みたいでさ……」
 ちなみに、勝利は黙っているが、心ひそかに頭のキレ具合を発揮しようとしていた。
(あの素早さ……只者じゃない?)
 最後の一個の柏餅を頬張りながら、考えている。
(念のため要チェック、と)
 全然意識していない方向で、微妙にピンチになっているのかもしれない、心はショッ○ー、役職は『白き金』、な幸太であった。


 この、久しく忘れていた追われる側の心境。幸太は平和ボケしていた己を呪った。ショッ○ー生活に馴染みすぎて、脳みそのネジも緩みきっていたようだ。母親への警戒心も、たぶん一ミリ程度綻んでいたか。それか、改造されて強くなったので、いい気になっていたのかもしれない。人間、謙虚さを忘れてはいけない。
 母親をあなどっていた。
 やはり、離れて暮らすといろいろと勘が鈍ってしまうようだ。対修子のアンテナが。
 ――周りが全て敵に見える。母の回し者に見える。
 修子は、ボンダラビッチパワーで何の罪も無い通行人すら、自分の手駒にしていそうだ。
「……ありうる。ありうるぞ。あの女のことだ……ボンダラビッチも、本体連れてこっちに来てるんだろうしな……。アレ、透明だしな……」
 ボンダラビッチは、透明だ。江口家の人間以外の者には見えない。ボンダラが誰にも見られたくない時や、そう命じられた時(修子に)は、江口家の血族に連なる人間にも見えなくなる。ボンダラビッチに関して、それぐらいの知識はあるが、逆にそれしかないとも言える。あとはそう……夏は涼しくていいとか。冬は近づきたくないとか。
 くそっ。こんなことなら、もうちょっとボンダラビッチの生態について研究しておくべきだった。――ボンダラビッチに好かれない程度に。
 いや、どうでもいいことは、知っているのだ。
 ホンダラビッチパワーで修子がどうやって家を栄えさせ続けているのか、など。
 幸太、幼少期からの衝撃の目撃談、あれやこれを再生中。
 ぴゅう。やっほー。妖精さんの時間ぱーとツーだよー。今回は修子さんについてだねー。うーん、参っちゃうなあ。下手なコト言うと、こっちの身が危険なのさ。あはっ。なんだかそんな気がするのさ! 今も背筋にゾクゾク来てるよ! ヤバイね! あれやこれの内容? いろいろさ! 説明になってない? こっちも自分の身が大切なのさ! だってキてるもん。パワーが! 説明なんかしてる場合じゃないね! 駆除される前に退散しなきゃ!
 じゃねー。
 ぴゅう。
 妖精さんが解説を終えると同時に、幸太の記憶の再生も終了した。
 あれやこれの記憶。その余韻が脳みそを渦巻いている。
(あー。なんかよく考えなくても俺の母親から権力と、あの負のパワーを奪ったほうが世のため人のためのような気がしてきた)
 修子に比べれば、『白き刃』など可愛いものだ。
 父は、母のどこに惚れたのだろう、としみじみと思う。
 幸太の父は温厚だ。中小企業のサラリーマンだ。婿入りしたので肩身は狭いが、本人は満足しているようなので、それは息子の幸太がとやかく言う問題ではない。母も、父のことはちゃんと愛しているようだし。皆木家の両親のラブラブっぷりには劣るが、父の前では、あの母も、あの妖怪変化も可愛いところを見せる。恐ろしいことに。恐ろしいことに!
 ただ、父は全般的に、少し、押しに弱いところもある。休日の午後、販売訪問や新聞勧誘に父が応対に出た日には。
 実家では、月に五種類の新聞をとっていたこともある。母の押しの強さの十分の一ぐらい、父にもあれば……。
「……あ?」
 温厚で、押しが弱い? どこかで聞かされたような人物評だ。しばし熟考。やがて、答えが弾き出された。
「……ぶらっく」
 冷や汗がタラリと滴った。いや! いやいやいやいや! 待て。待つんだ。
(ここは一つ、冷静に、比較してみよう)
 誰と誰を?
 住吉と、自分の父親だ。もし、もしもしもしもし、もしも、万が一、父が元ブラックライダーだったとしたら。そんなことは絶対にありえないと思うし、そうでない確率はほぼ百ぱーに違いないとも、思うが。印象の一致はたぶん偶然でそうでなければ困るが。
 とりあえず、比較。あくまでも、可能性の検証だ。
 熱血度。住吉、計測器が振り切れそうなほど。父親、いたって普通。
 ライダー度。住吉、マックス越え。己の息子の青春と人生に影を落としまくっている。それに比べ、父は幸太にライダー教育など施したことはなかった。
 この違いは大きい。幸太は一安心した。父は、通常、一般人だ。
(……だよな。ライダーは家系で。敵と結婚したブラックライダーだったら、俺にもお鉢が回ってきてたはずだ)
 母親はああだが、父親がまともなので、幸太は救われていた。だから、小学校、中学校期、授業参観も、運動会も、幸太は父親に出席を頼んでいた。修子が来ると、まず、周囲の父兄の皆様方の間にピーンと張り詰めた空気が漂い、先生は平身低頭となる。クラスメイトたちも、ナニかを察知し、泣き出す者までいた。
(我が母親ながら……)
 幸太は、裏道を使い分け、結社のアジトに向かっていた。ショッ○ースタイルで走り抜ける時のために発掘した道だ。
 動き回り母の、たぶん、今にも到達しそうなボンダラビッチパワーを振り切ろうとして皆木を飛び出してきたが、アジトなら、一箇所に留まっていても、母の目を掻い潜れるのではないか。そのように思考を修正した。
 悪の結社だけあって、たぶん。
 たぶん、それなりに。役に立つ、と思う。少なくとも、構成員仲間は助けとなってくれるであろう。幹部たちも、囮ぐらいにはなるかもしれない。
 日中なのに薄暗い建物と建物の細い隙間道を高速で走りぬけかけ――幸太は舌打ちして逆戻りした。
 なんなんだ、今日は。
 俺は何か悪いことをしたのか!
 恐喝場面に行き合ってしまった。見過ごすのも忍びない。ブルーライダーもこういう時こそ巡回していればいいのに。幸太は、逡巡した。注目は浴びたくない。特に今は。自分の顔が注目を浴びるようなことは。
「…………」
 幸太は、まだ逡巡していた。
 ――仕方ない。逆に注目を浴びることにはなるが……少なくとも、こうすれば、注目を浴びるのは『自分』ではなくなる。幸太は、ごそごそと懐から圧縮パックを取り出した。着替えだ。最近、結社の技術力によって、着替えは簡単になった。いちいちロッカーに何十着もショッ○ースーツを常備する必要はなくなった。
 パックに折りたたまれた結社要員専用の着替え服が収納されている。パックを開くとあら不思議。着替え完了だ。普通服に戻るのも所定の操作をすればいい。原子レベルまで分解して再構成がうんたら、だ。技術力だけは、だけは、『白き刃』もすごいのだ。
 幸太が持っている圧縮パックは二個。ちなみに、何故そんなものを常備しているのかというと、結社に所属していると、いつ着替えが必要になるか、わかったものではないからだ。それが二個なのは……そのうちの片方の衣装を着たくないというせめてもの抵抗心だ。
 さて、どっちにすべきか……。なんて、幸太は迷ったりはしなかった。迷わず、ショッ○スーツの圧縮パックを開く。『白き金』専用服なんて、ムリ。
 雑魚スーツの方が、慣れ親しんでいるし、とってもラクだ。顔がすっぽり隠れる仮面付きなので正体がバレる不安もない。自然、掛け声も出ようというものである。
「へーい!」
 幸太は恐喝現場に飛び出した。突如出現した全身ピッタリ黒スーツの仮面人間に、現場にいた被害者も加害者も慄いた。
 変なの来たよ。あんた誰?


BACK   目次へ    NEXT