第二回 父への疑惑


 父がいるはずの座敷に、父はいなかった。かわりに、どうも掃除中だったらしく、そして昔の懐かしい品々を発見してついつい追憶にひたっていた――。そんな状況が丸わかりの惨状だけが残されていた。
 あるべき父の姿だけがない。
 ダンボール箱の上で、広げられた大学ノートが風に揺られてめくれている。
 なんとはなしに、ズカズカと部屋に踏み入り、幸太はノートを手に取った。丁度開いていたページに目を通す。そのままパラパラと捲り、
「ん……?」
 あるやり取りに幸太は注目した。

 

『今日はレッドであるぼくの番です。
 八月四日です。悩んでいます。
 切実なので指名します。ブラック! 君だ! 相談にのってください。
 ぼくは赤悪魔なんだろうか……? いや、レッドライダーだとは思っているんだけど、つい先日、和風で美人な女の子に言われたんだ赤悪魔って。悪魔……。
  ぼくは傷ついた。正義の味方として、そしてレッドライダーとして由々しき事態だ。どうしたらいい? 返答は明日の欄にお願いします』

『八月二十日。担当ブラック。
  お前はまぎれもなく赤悪魔だ。更生しろ』

『八月二十一日。
  本当はグリーンの日だけどやっと返事が、ブラックの返事が来たのでレッドのぼくが書きます。
 ブラック!
 どういうことなんだ? 君は何か知っているのか! 何を更生すればいいんだっ?
 至急返答を頼む!』

『九月一日。担当ブラック。
 ぜんぶ。すべてだすべて』

『九月二日。本当はイエローの日だけど、やっとブラックの返事が来たのでレッドの僕が交代してもらっています。
 待ちくたびれたよブラック!
 ぜんぶ? すべて? すべてってなんだい?
 至急至急返答を求む!』

『十月一日。
  住吉、お前今度オレのバイト先に来てライダーだの正義の味方だの狂ったことを一般人にぬかしやがったら殺すぞ?』

 

「こ、これは……」
 大学ノートの表紙をまじまじと見つめる。赤いマジックででかでかと『ライダー連絡帳』と書いてある。どうも住吉たちが現役だった頃、毎日ライダーたちが日替わりで何かしら記入させられていたようだ。読んでみると、約一名のライダー以外は特に嫌がったり面倒くさがったりするそぶりもなく。
 そして、そんなもん書いてたのかよ、俺だったら嫌だなあ、という幸太個人の感想はまあ置いておくとして、一番書いているのは住吉だった。
 実に住吉らしい。
 というかこのことには全然驚かない。
 注目すべき点。それは。
「ウチの親父はぶらっく……」
 大学ノートを力いっぱい握り締め、穴が開きそうなほど見つめる。この筆跡……やはり父のものだ。次に、記憶を辿った。かつて、住吉が自分に語った台詞を思い出してみる。
「『一匹狼特別参加隠し玉ライダーのブラックライダーと結局結婚したんだけどね、彼女はっ。私はブラックの結婚後の事が心配で心配で……。彼は変身前は温厚な押しの弱い奴だったから、彼女に生気でも吸い取られているんじゃないかと……』――だ」
(彼は変身前は温厚な押しの弱い奴だっ、……た)
 現に幸太が見て育った父もそんな人だった。はずだ。なのに連絡帳に現れている性格。特にこの十月一日の言葉はどうだ。本気と絶対零度の怒りがにじみ出ている。担当ブラック、なんて仕方なく書いてあるのがアリアリな断りもすっぽ抜けているほどだ。
「いや、ていうかその前に」
 なんとなく幸太は今の今まで住吉と己の父、聡は仲が良かったんだろうと思い込んでいたのだが。
 なんだこのやり取り。
「お兄ちゃん」
 ビクゥッと幸太は爪先立ちで飛び上がった。美弥だ。まったく心臓に悪い妹だ。出現の気配が感じられない。
「お父さん、今電話に出てるから……」
 言葉を切り、大学ノートに視線を向け、美弥がふっと微笑んだ。
「それ、見たの?」
 こくこく幸太は頷く。
「ふーん。そう」
「ふーん。そう、じゃないどころの内容だったぞ!」
「なんで?」
「なんでって……親父らしからぬ言葉が」
(ここに! このノートに! 明日って言われてるのに余裕で日付ぶっちぎってるわ、返答は二言三言だわ。しまいには)
 十月一日にすべてが凝縮されている。
「お父さん、自分の素に気づかない人には完璧にそれで通すものね。ムカつき度が最高潮に達した場合の例外を除いて」
「……意味がわかりません」
 妹が発した言葉の内容を理解するのを幸太の脳は拒否した。
「まだわかんない? 第一、あのお母さんが好きになった人よ?」
 どこまでも拒否した。
「ウチの親父は、あの母親がどこに惚れたんだろうって息子の俺がしみじみ思うぐらい温厚な中小企業のサラリーマンだろ! んで婿入りしたから肩身は狭いが、本人は満足してて、あの妖怪変化も親父のことはちゃんと愛している。ただ、親父は全般的に、少し、押しに弱いところもある。……だろ」
 何故か、妹は哀れみをこめて兄を見た。
「……お兄ちゃんって、素直よね。うん。いいと思うよ。お兄ちゃんはいっそ一生そのままでいてよ」
「妹よ」
「なに」
「お前、俺を謀ろうとしているな? 熱くてむしゃくしゃするから、とかそういう理由で。そうなんだろう! そうだと言え!」
 むしろそうじゃないと嫌だ。そんな心境の幸太だ。
「お兄ちゃん……。私を何だと思っているの」
「プチ妖怪変化?」
 すうっと美弥の瞳が細まる。友好的の対極をいく変化だ。
「私がお兄ちゃんのためを思って言ってあげているのに。年頃の女の子に向かって妖怪なんて……失礼だわ」
 幸太は構えをとった。
「……やるか? いっとくが俺は女子供であろうと、江口家の血をひいている時点で容赦しねえぞ」
 断っておくと、幸太は普通の女の子や子供にはちゃんと優しく、親切である。
 本題を放り投げて、骨肉の兄妹の戦いが始まるかと思われた……が。
「何をしてるんだ? お前たち」
 落ち着きのある穏やかな声の乱入で無事収められた。ついでに、「シャキーン!」というつららの声も混じる。
 幸太の危機を察した忠義なつららは、この兄妹を仲裁できて、自分が接近しても怖くない幸太以外の江口家の人間を呼びに行ったのだ。
「つららも騙されてる口ね……」
 美弥は、どいつもこいつも、と言いたげな様子だったが、父と目が合うと口を噤んだ。

 


 京語は一枚の絵葉書を手に、苦悩していた。
(これ……)
 飴は美味そうだった。ついでに、勝利が直後にライダー同士で合宿旅行しようよ! なんて実家に押しかけてきたので、京語は観念して父と旅行に行くことにした。
 他色ライダー共と親睦を深めるため合宿旅行なんぞ身の毛もよだつ京語である。
 よって現在、父の運転するマイカーにゆられている。
 主に、ビデオのことを水に流したわけではなく、また日々積もりに積もっている父への有象無象のある京語が無視することにより途切れがちな車内での会話の中で、住吉が一枚の葉書を運転席から後ろの京語へと渡してきた。
 これはブラックがくれたんだよ、とか何とか。この住所に住んでいる、と。
「なあ……親父」
 葉書からようやく顔を上げると、車内にて初めて息子が父に話しかけた。住吉は、久しぶりの息子からの問いかけに意気込んで応じる。
「どうした京語! なんでも聞いてくれていいぞ。ライダーとしての心構えを聞く気になったかっ? いいぞいいぞ。まず第一」
「聞く気はない」
 簡潔に即効で拒絶する。父ががっかりしたのが伝わってきたが、いまさらそんなことでは京語の心は〇.一ミリも動かない。小学校に入学したての頃なら、一ミリ程度なら動いた気もする。
「そんな一銭の足しにもならないようなことより、これ……」
 ピラピラと葉書を振る。
「これって、本当に、親父曰く、『大親友でとっても気が合う一匹狼元ブラックライダー』から届いた葉書なんだよな」
「そうだとも。いやあ、じかに会うの久しぶりだから再会が楽しみだなあ……」
 念には念をいれて京語は確認してみた。
「……本当に、そう思ってるんだな?」
 赤信号になった。住吉が不思議そうな顔をして後部座席を振り返る。
「当たり前じゃないか!」
 非常に心外そうだ。父親がぶつぶつとブラックライダーとの友情物語を披露しだしたが、京語は聞きたくない話はスルーの特技を用い、葉書に視線を戻した。
 絵葉書だ。消印は最近だ。幸太の楽しい二足のわらじ生活が確定したあたりだ。
 絵は、ごく普通の風景。おそらくあちらの地元の風景なのだろう。
 ブラックライダーからの文章も添えてある。ちなみに、『元気か? どうせ無駄に元気なんだろうが』から始まっている。
 無駄に元気、のあたりで京語は既におかしいと感じていたが、読み進めるとさらにおかしい。
「なあ親父……親父って実はブラックライダーとものすごく仲悪」
「その時だった! 颯爽と現れた彼が! ブラックライダーが仲間の危機を救ったんだ。あの時のことを、白ひげ危機一髪! と父さんは名づけた!」
 住吉は聞いちゃいない。ほんのちょびっとだけ、白ひげ危機一髪ってなんだよ、とまったく話を聞いていなかったが故に生じた疑問が京語の脳裏をよぎる。しかし聞きはしない。聞くと父が調子に乗るからだ。
「それと連絡帳でもブラックライダーは父さんの相談によくのってくれていたなあ……。彼は常に厳しかったが、そこが為になった……! バイト先に遊びにいったり! いやあ楽しかった!」
「…………」
 もう何も言うまい、と京語は思った。父がそう思っているのなら、父の脳内ではきっとそうなのだろう。元レッドライダーと元ブラックライダーは大親友なのだ。
 しかし京語の感想を率直に述べるのならば。
(親父、実は嫌わ)
 だ。
 絵葉書をじっと見つめる。見れば見るほど思う。
「その葉書にも書いてあったろー? いつでも遊びに来てくれって!」
 それは嘘ではない。書いてある。確かに書いてあるのだ。しかし。
「書いてあるけどな……」
 京語は深いため息をついた。
 その前の文章もきちんと読んでいるのだろうか、この父は。
「いやあ、楽しみだ!」
(読んでないな……)
 読んだが、読んでいないのだ。きっと。そういう父親だ。そういう父親だからこそ、京語との断絶は今もって深いままなのである。
(だってオレがライダーを嫌がってるって親父が真の意味で理解したのも、高校入ってからだもんな……)
 小学生の頃から強く激しく主張していたのにもかかわらずだ。
「はあ……」
「どうした京語! まだ目的地は遠いぞー!」
(なんかすっげえ疲れた……)
 京語の疲労はまだまだ序の口だ。


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