第三回 続・父への疑惑
――負けた。
幸太は深い敗北感に苛まれていた。家屋の柱に手をつき、苦悩する。
(何故だ。親父にちょっと一言聞けばいいだけなんだぞ? あのノートは何なんだ?って)
そう、美弥がなんか変なこと言ってたけど、アハハ、あれなんだろう? という風に。
さりげなく。
だが、できなかった。
柱についていた手のひらを拳にし、廊下の柱をガンガン叩く。幸太は意識していないが、高級けやきの柱がそのたびに明確に凹んでいった。ぎしっみしっという不穏な音も響いている。
(俺の弱虫め! 今まで俺のまともライフを支えていたのは親父なんだぞ? そんな親父をあんなノートと美弥の言葉ぐらいで疑ってどうする! 江口幸太、お前はこの十数年間を疑うのか?)
心を無にし、己に問いかける。
「…………」
熟考する。少し落ち着いてきた。
「……よく考えてみれば、あのノートのブラックライダーの性格だったら、あんな連絡ノートを大事にしまっているはずがない」
まだ取ってあるのはオカシイ。
(……そうだよな)
変に構えて考えるからいけない。
幸太はふう、と息を吐き、方向転換した。長い廊下を歩き出す。
(あれ、ヤベ)
何しろ実家に足を踏み入れるのは久しぶりだから、迷い気味になってしまった。実家はやたらめったら広大だ。外部に開放してあるほうとは違って、居住スペース側の玄関から居間までこそ一直線だが、さっき居間を出た時、何回か不必要に扉や戸を潜ってしまったような気がする。
「……確か、ここは、こうで」
こう、うずうずとした、シャッキーン! 案内する! したい! という冷気が伝わってきたのだが、幸太は無視した。
曲がる。扉を一回開けた。四方がすべて扉だ。
(……こっち、だったっけか?)
北を向いて開ける。
「よし!」
ビンゴだ。居間の戸がある廊下に出た。
「あのさ、親父、そのダンボール箱に詰まってるノートだけど……」
気を取り直し、声を出しながら自然さを心がけて座敷の戸を開けた。美弥は不機嫌そうな顔で早々に姿を消している。戸の向こうに広がるのはもちろん、(普 段ならそんなことはないのだが)問うか問うまいかで主に幸太側から生じる父との気詰まりに耐えられず、トイレ、と自分が出てきたばかりの、そして戻るま で、ちょっと道に迷った居間だ。
幸太は大きく目を見開いた。次いで、眉をひそめる。
「…………」
ピシャン! と戸を左に一気に引く。
「……?」
首を捻る。何か今オカシイものを見たような気がする。
「……見間違いか」
今度は、やや慎重に、ゆっくりと戸を引いた。右に。
「…………」
見間違いではなかった。見間違いかと思ったのと寸分違わぬ光景があった。
父、江口聡――がそこにいるのは、まあ当然として、父はダンボール箱を厳重に梱包しているところだった。もう終わりそうだ。
ガムテープは序の口。麻の紐でぐるぐる巻き。返品、受取拒否、封印、やら悪霊退散、二度と開けるべからず、やらの札が多重貼り。外に出ていた連絡ノートの姿が見えないので、それらはこの封印されたダンボール箱の中にあるのだろう。
ご丁寧に父は作業用の手袋まで装着している。並々ならぬ気迫を感じる。
「親……いや、お父さん」
お父さん、などと呼ぶことは数えるほどしかない幸太だが、この時は思わずこんな訂正を入れていた。
封印作業に黙々と熱中していた父は顔を上げた。
「どうした? 幸太」
いつもの父だ。温厚そうだ。実の両親ではあるが、何故あの母が結婚したのだろう、と息子ながら不思議に思――。
(う。思う。思うったら思うぞ俺は!)
ではこの胸をたぎってどろどろしている予感は何なのだろう。
期待と予想が儚くもガラガラと崩壊していくかのような?
恐る恐る幸太は人差し指で父が封印中のダンボール箱を示した。
「そのダンボール……」
「ああ。間違って届いたのを気づかずに開けてしまったんだ」
こともなげに父は答えた。しかし口調がいやに事務的かつ棒読みで寒々しい。
「届いた?」
ということは、思い出の品を整理していたわけではないのか。
よくよく注目してみると、ノートに目を通した時には気づかなかったものがダンボール箱に貼ってある。宅配便の伝票だ。改造された幸太は視力もとても良いので、伝票に書かれている文字もバッチリ見える。お届け予定日は今日の午前中に印がつけてある。到着ホヤホヤだ。
品名、思い出ノート。
(宛先は……ウチの実家。宛先人も親父。差出人は……)
皆木サキ、と、読めはするものの、しかしながら形容しがたい字で書いてある。皆木家となんだかんだで付き合いのある幸太は皆木家の人々が書く文字もわかる。というか、三人それぞれが特徴的すぎる字を書くので自然に覚えた。
住吉の字は、後で京語から「アレは自作だ」と聞いてビックリしたのだが、皆木家地下の作戦室っぽいところやライダー教育用部屋にある住吉作のへったくそな掛け軸の文字からわかるように、芸術的すぎる。
サキは丸っぽい読みやすい文字を書くが、字が薄い。たまに字が消えている。
そんな両親を持つ京語はというと、あれで中々達筆なのだが、筆圧がもの凄く高い。内に溜まっているライダー業へのあれやこれやを鉛筆に力を込めて日々日記とかにこっそり書いてるからじゃねえだろうな? と幸太が邪推するほどだ。なんというか劇画調。
で、差出人、皆木サキ、の文字に戻る。
(この筆圧、字の形は――住吉さんだな)
つまり。
京語の父、住吉、元レッドライダーが、幸太の父、元ブラックライダーに、妻の名で、ライダー連絡帳ノートの束をダンボール箱で送りつけた。
(が、正解か?)
「いや、あのさ。この差出人の人はまぎれもなくウチに出した――」
幸太が言葉を切ったのは父に鋭い眼光で睨まれたからである。
「……幸太」
「……ハイ、なんでしょうお父さん」
おかしい。何故自分は今、あの母が怒って「幸太ちゃん」とか言ってくる時と同じような対応を温厚な父に? おかしくないか? 自分の中で内的変化が起きてないか?
「皆木サキさんというのは修子さんの友人だ。彼女が私に便りを寄越すのは珍しいが、まあなくもないだろうと開けてみた。しかし開けてみてわかった。これは間違って送られてきた、と。だから送り返すんだ」
筋が通っているようで通っていないので、果敢にも幸太は反論を試みた。
「いやさ、中身はライダー連絡帳なわけで、差出人も元レッドラ」
ラ、で幸太は静止した。その先は続けてはならないような気がする。
禁句。
「シャッキーンっ?」
幸太につかず離れず、透明になって主を見守っていた巨大つららも怯えた叫び声をあげた。どうやら同じものを感じているらしい。
父は、既に厳重封印されているダンボール箱に、更に上から、右から左に布のガムテープを貼った。
ごくりと幸太は唾を飲み込んだ。
禁句だとしても、ここでひいては男がすたる。
「住吉さん……差出人の元レッドライダーと親父って仲が良かったんだろ?」
なんせ、本人曰く親友だ。大もつく。
まだ多少の希望を幸太は持っていた。
そうだ、とか。彼は仲間だ、とか。犬猿の仲だが良きライバルだった、とか。そういう類のものだ。人間、信じたいことを信じたいのだ。いや、別に熱血ライ ダーであって欲しいとかそういうことでは決してなく、常識人な父親として信じてきたものがこの年になって崩れるのはちょっと。
父と息子の視線があった。
「仲が良い?」
父が呟いた。表情が動く。
「――ハ」
父、江口聡は鼻で笑い飛ばした。
なんだか、母、修子の赤悪魔に対する反応と似ていた。
幸太は親世代に一抹の不安を覚えた。
というか己の両親に。今までは母親のみだったが父親込みで。
「ブラックライダーの難点は、一匹狼気質なところだった。それで私はライダー会報とか、新武器とか、小まめにブラックライダーの自宅に送っていたんだよ」
京語は絶句した。父が披露し出し、止まらなくなった『私とブラックライダーの友情昔語り』のあまりの内容に、さきほどから絶句の連続だ。
思わず、父親の話など無視し、この間の修子さん歓迎会で知り合った幸太のショッ○ー仲間から譲ってもらった携帯ゲーム機を押す手が止まった。もちろんゲーム機は父の話をスルーするための小道具だ。
しかしゲーム機は動いている。今日の運勢なるミニゲームの画面だ。京語が目を話している隙に、くす玉が割れ、髑髏マークが現れる。
おめでとうございます、の言葉と共に言葉が流れた。
『今日から明日にかけてのあなたの運勢は最悪です。超凶運の星があなたを襲います。常に気を落ち着け、怒りが爆発しないようにしましょう。心を穏やかに、 寛容の精神がポイントです。父親に優しくしましょう。迷子に注意しましょう。バッドカラーは赤です。赤色はなんがなんでも避けましょう。ラッキカラー、 グッズは残念ながらありません。これは私も驚きです』
ぴゅう。やっほー。毎度おなじみ、妖精さんの時間だよっ。
今回はいつ来るかな? 来るかな? ってワクワクしてたのに、待ち望んでいる時に限って出番は来ないものなんだね! だからあんまり必要なかったんだけ ど文の流れなんか無視して無理矢理出て来たよ! えへ! サービス出張? でも給料はもらうよ! 妖精さん、悟ったね。先に働いて後から申告して給料をも らう! そうすると気分イイ!
で、この占いだけどね。携帯ゲーム機専用のダウンロードプログラムで、よく当たるって百発百中なんだよ! 勝手にダウンロードされて持ち主を占っちゃ う! レアなんだよ! 良い結果が出ればラッキー。悪けりゃアンラッキー。呪いとか噂があって近々サービス終了なんだけどね! 意志を持った呪いウイル ス! ていうかこの呪いウイルスも京語君を占って驚いてるよね。「これは私も驚きです」って。そりゃないよ! じゃあね!
ぴゅう。
妖精さんはアハハー、と笑いながら満足げに去っていった。
そして、結局、占いを目にすることはなかった京語はというと、
(ブラックライダーにも送ってたのか……身内でも迷惑なのに)
父親の昔語りで、元ブラックライダーに対する深い深い共感が湧き起こり、うんうんと頷いていたりした。
住吉から京語へも、週一で会報やら新武器が届く。非常に迷惑だ。
「でもブラックライダーはシャイだから、遠慮していたんだろうな。そのうち、受取拒否をするようになって……。そのくせ、シャイだからライダー同志の作戦会議にも来ないし」
(それは純粋に、オレみたいにライダーがイヤだったから、に一票)
京語の読みは当たっている。
「だから仕方なく、父さんも方法を考えた。差出人の名前を変えてみたり。他のライダー仲間に送ってもらったり。だけどなあ……」
うーん、と住吉は首を振った。
「不思議だ! 最終的には彼はいつも差出人が私だとわかっていたようだった」
そして、一転。
「これはライダー同士の仲間意識、そして強き友情のなせる業!」
力強く言い切る。京語はいつものことだがげんなりした。胡乱な目つきで運転席のバックシートを見やる。
ため息をついた。ゲーム機の電源を切り、善意というものについて考える。
善意。
(……休みに入る前の現代文の授業もそんな感じの話だったな。パン屋の女店主が好意と善意で勇気を出して貧乏そうな客のパンにバターを塗る……)
しかしそのバターがすべてを崩壊に導く。
大きめのフランスパンにナイフで切れ目を入れ、バターをたっぷり。
(――腹、減った)
善意についての熟考はあっけなく吹き飛んだ。
途中でもう一人の乗客を乗せ、高速に入り、かれこれ六時間は経過している。パーキングエリアで軽食は取ったが、時刻はもうすぐ日も沈もうかという頃だ。
「つい一昨日も、ブラックライダーにライダーノート連絡帳一式を送ったんだ! ほら、サキちゃんたち同窓会だなんて言うから、父さんもつい昔を思い出し て……。ブラックも楽しく読んで、昔に思いを馳せているに違いない! 昔のクセで父さん名義だと受取拒否されるかもしれないから、サキちゃん名義で送った し!」
「……すみよしのおっちゃん」
助手席に座っていた三人目の乗客がポツリと呟いた。
「それ、嫌がらせじゃね? おれがまちがってんのかな? このはがきもさあ……。あ、次、右折」
その手にはとある絵はがきが握られている。
「間違っているとも! 火淵君! 私は悲しい! 一時的とはいえグリーンライダーである君がそんなことを言うなんて! ちょっと京語に似てきちゃったんじゃないか? 京語は見習っていい素晴らしいライダーだけど、見習っちゃいけないんだぞ!」
結構楽しげに住吉の語りに耳を傾けていたものの、時折首を傾げていた小学三年生の火淵鹿目は勢いに押し切られたらしく、「わかったよ」と頷いた。
火淵鹿目。住吉の言うように、一時的にグリーンライダー(緑ライダー)に就任している少年だ。無論、家系だからだ。就任したのは、幸太がブラックライ ダーだと判明して数日後だった。老舗和菓子店の火淵家には高校一年の兄と小学三年の鹿目がいて、本来は兄のほうがグリーンライダーだった。なお、兄のほう を兄、としか京語が覚えていないのは実際覚えていないからである。ブルーである勝利のことだって、なんせフルネームを覚えたのはごく最近の京語だ。とにか く、兄のほうは怪人との戦闘で負傷(正義の味方陣営は白き刃め……! と憤っていたが、話を聞くに、グリーンが自滅して負傷したとしか京語には思えない) し、全治一ヶ月の怪我を負った。
問題となったのは、悪の結社が復活している時期での、ライダーの不在だ。一匹狼のブラックは長年、除外されていたとして、他のカラーは全員いるのが当然なのである。
京語としては一人不在であろうが、というかそもそも自分たちライダーが全員不在であろうが、問題があるようにはちっとも思えないのだが代打が、必要となった。
白羽の矢が立ったのが、弟のほうの鹿目だ。小学生……? 児童に? と一人抗議した京語のほうが何故か猛抗議を受けた。
そしてここが悩みどころなのだが、変身の際、スーツを着るとライダー関係者の技術力で鹿目は大人サイズになるわけだが、強いのである。兄よりも。ついでに京語にとってはここが重要で、小学生なので周りから丸め込まれているが、常識人なのだ!
たとえばさきほどの『私とブラックライダー友情物語兼昔語り』に意義を唱えられるライダーが今まで京語以外にいただろうか? いやいない!
あの元ブラックライダーからの絵はがきを見て、果たして他ライダーが「え? これってちょっと……」と疑問を持つだろうか? いや、持たない!
という具合だ。
鹿目は、兄の怪我で火淵家が元々立てていた家族旅行か立ち消えになったところを、せっかくだからと住吉が鹿目を誘ったことにより同乗している。現ライ ダーの親同士は当然ながらやたらと皆、仲が良いので、鹿目の両親からの反対はない。むしろ元レッドライダーに預けるなら安心だとまで言っていた。
(オレだったら猛烈に激しく不安だ)
他ライダーも合宿旅行を慣行かつ敢行中で鹿目を誘ったが、幸太の実家があるという山奥を特集した雑誌と、合宿旅行予定地の高級海辺リゾート情報誌を見、鹿目はこっちに決めたようだ。どうやら、近くに行ってみたかった観光名所があるらしい。
雑誌には近隣マップもあり、鹿目は住吉のナビをかって出ていた。住吉の趣味で車にカーナビは着いていない。
「それより、おっちゃん、いつ着くの?」
周囲はどんどん暗くなっている。今でこそ人通りや建物のある街内だが、このまま道なりに進めば山に入り、迷子になるのは必須だ。
「そろそろ着いてもいい頃なんだけどなあ……? お、交番発見! あそこでちょっと聞いてみよう、すみませーん」
「待て、親父」
経験上、京語は口を挟んだ。元ライダーとして、住吉は警官には同業意識を持っている。
警官と話すと――。
(話が長くなる。平均一時間)
「俺が聞いてくる。いいか、親父は絶対に車から出るなよ。そこで休んでろ」
「!」
父、住吉は雷に打たれたかのように震えた。
「京語が休めって言うなんて……! 父さんを気遣ってくれた……っ。京語! 京語が僕をっっっ……! うおおお。サキちゃんっ! 今僕は君とこの喜びを分かち合いたい……!」
「おれも降りる。おっちゃん、ほらハンカチ」
「ずびっ。ばりがとう……っ。う゛っ」
車を降りた京語に、小脇に雑誌を抱えた鹿目が続く。入り口に立っていた警官が後ろ手に手を組み、軽く会釈した。
「すみません。道をお聞きしたいんですが……」
「ああ。はいはい。ちょっと待ってね」
一旦交番内に戻ると警官は住宅地図帳を持って出て来た。
「住所は?」
絵はがきをじっくりと眺めたせいで暗記してしまった江口家実家の住所を口にする。だが、その瞬間、警官の顔色が微妙に変化した。
「君、あそこに行くの?」
「ええ、まあ」
「ていうと、観光? 個人の自由だから、いいと言えばいいけどねえ……」
はて? と京語は思った。個人宅の住所を告げたのに、観光?
「行きたいのは江口さんっていう人の家なんですけど」
「知ってるとも。あの屋敷でしょ? 坪幾つあるんだっていう」
そんなに金持ちだったのか、江口。以前修子さんがカードで豪快な買い物をしているのを目撃してはいたものの、ここまでだとは思っていなかった京語である。
「――あのさ。聞いてて思ったんだけど、目的地ってここ? あの絵はがきの住所とも合ってるような気がすんだけど。あと、おれが行きたかったのってここ」
鹿目がキラキラした目で持っていた雑誌を広げた。
(お前、どんな実家に住んでるんだ、江口)
広げられたページには、おどろおどろしい『迷宮』という文字が躍り、その観光スポットの全景と屋敷の写真が掲載されている。
オカルト雑誌だった。
「……あそこはね、入る前に誓約書を書かされる観光スポットだよ? 止めておいたほうがいいよ? 悪いことは言わないから帰りなさい」
警官は心から、という口調で言い添えた。
京語の疲労度と嫌な予感度が、一上がった。 ちなみに蓄積は三までが限界だったりする。