第四回 ヘーイ


 『江口家別邸見学用誓約書(夏仕様)

 其の一、当家別邸は見学料500円で二十四時間開放しています。どなたでも利用できます。

 其の二、入場後は、基本的に案内係に従って行動してください。

 其の二・五(夏仕様項目)、案内係含む従業員は日本語を喋れず、ヘーイ、しか言いません。筆談は可能ですのでご安心ください。また全員目立つ制服を着用しています。

 其の三、お茶、お菓子、おみやげ品などの販売所は入場後、右左左上左左下右上上斜めの順でたどり着くことができます。販売所では特別製の護符が人気です。大抵のものははね除けることができます。ただし良縁もはね除けます。
 
 其の四、案内係に従った順路で進んでいる限りは迷うことはありません。
 
 其の五、案内係とは別に自由に行動することもできます。ただし、その場合、いかなる事態がお客様に降りかかろうとも当家は責任を負わないものとします。』


「ヘーイ。ヘーイ。ヘイヘイヘイ」
「ヘーイ。ヘーイ。ヘーイ」
「ヘイヘイヘイヘイヘイ!」
「ヘーイ?」
「ヘーイ! ヘーイ!」
「…………」
 どうも、幸太は実家に帰ってから、目の錯覚か? と疑いたくなるような光景にばかり出くわしている。しかしさすがにこれはない。ない。
(寝起きのせいだな。とっとと部屋に戻って寝よ)
 実家一日目、深夜零時。トイレに起きた幸太は道に迷いながら目的地に到達し、寝ぼけ眼で実家自室に帰ろうとしていた。
 だが、五個目の扉を開け、三個目の角を曲がり、渡り廊下に出た時、幻聴が聞こえてきたのだ。幻聴の方角を見ると――。
「ヘーイヘーイヘーイっ」
「ヘーイ!」
「ヘーイ、ヘーイ!」
「…………」
 改造されてしまったが故の超視力で、黒い物体が深夜バスケットボールをしているのが見えた。場所は八百メートル先、別邸のほうだ。
「ヘーイ!」
「ヘーーーイっ!」
「…………」
 冷静になって完全に第三者として見てみると、この光景はちょっと怖い。
 幸太は、目をこすってみた。それから、ジーンズのポケットを探る。あった。夕食を終えた後、そのまま自室に行き寝入ってしまったのがちょうどよかった。
 『白き刃』から支給された業務用携帯を取り出し、最近の履歴から仲間の番号を選ぶ。
(あの動きからすると、コートにいるのはあいつとあいつとあいつだから……)
 プッシュ。携帯を耳にあてる。
(どうか出ませんように)
 数コール。
 別邸のほうで深夜バスケットボール中だった全身黒タイツの一人が、ちょっとたんま、と片手をあげた。懐から何やらごそごそと取り出し、コートから抜ける。
『ヘーイ!』
 運動中だったせいか、少し切れ気味の声でショッ○ーは電話に出た。
「…………」
『ヘーイ! ヘーイ?』
「……ヘーイ」
 眠気が完全に覚めていた幸太は、絞り出すようにしてヘーイ語を返す。
『ヘーイ。イーヘー。イーヘー。イー……ヘー……。ヘーイ?』
「ヘーイ、ヘイヘイ?」
『ヘーイ』
「ヘーイ、ヘイヘイヘイヘイヘイ?」
『ヘーイ。ヘーイ。ヘイ』
「ヘーイっ?」
 電話は一方的に切れた。見ると、ショッ○ーたちは試合を中断している。新たにやって来たショッ○ー二人――アイスが溢れ出しそうなコンビニ袋を持っている――をきっかけに、ぞろぞろと移動し出していた。
 幸太もダッシュした。直接会って話を聞いたほうがはやい。
 このままだと面倒なので、渡り廊下から外に出、別邸へと直進する。普通に玄関を経由して別邸へ向かうと、十分以上かかるのだ。
(つーか、誰だ! こんな面倒な建物作った奴は!)
 ……自分の先祖なんじゃないかなあ。
 …………。
 ハッ、失言失言。妖精さんはこういう突っ込みはしちゃいけないんだよね! そんなもんなんだ、妖精って! 空気のように舞い、空気のように説明してさっと退場!
 ソウイウワケデー、サッキ妖精サンハ、ナニモ言ッテマセーン。仕切リ直シデース。
 よし!
 やあ、妖精さんのヘーイ語翻訳タイムコーナーだよ!
 でも全部訳すと時間がかかるから電話の部分だけポイントにしてまとめるね!
『ハアハアハアハア。もしもし』
『……………』
『ハアハア……もしもし! 何か用?』
『……俺だけど。深呼吸しろよ』
『オッケー。イーヘー。イーヘー。イー……ヘー……。落ち着いたわ。何いきなり? 急用?』
『なんでそんな所で深夜バスケットしてんだよお前ら』
『バイトー』
『バイト? バイトって江口家別邸ってなってる場所でかっ?』
『うんそうー。あ、ごめんノラン君戻ってきた。アイス食ったら交替なんだわおれら。じゃ』
『じゃ、じゃないだろ、意味わかんねえぞちょっと待て!』
 こんな感じかなー。妖精さんもショッ○ーの真似して退場しようっと。
 じゃ!


「今回本記者が訪れたのは、知る人ぞ知る絶望スポット、「江口家別邸」だ。個人宅だが、れっきとした観光地である。入場料を払い、中を見学できる。
 「江口家別邸」は地元名士の手によって江戸時代初期に建築された。以後代々の子孫によって増改築が繰り返され、現在に至っている。
 特筆すべきはその扉の数と個室数である。アメリカのウィンチェスター・ハウスを思い出さずにはいられない。敷地内には観光用に開放している別邸と、所有者江口聡氏の住む本宅(本宅は公開されていないが、別邸同様、複雑な構造をしていると考えられる)がある。
 ――さて、この「江口家別邸」は、当紙で取り上げていることからも自明であるように、地元では有名なミステリースポットでもある。
 地元の人々は語りたがらないが、様々な体験談や噂で彩られているのである。
 一例を紹介しよう。
 別邸から悲しげな「シャキーン……」という正体不明の声が頻繁に聞こえる。これは見学者からの体験例多数だ。またこの声が聞こえると周囲の温度が冷えるという。
 他には別邸を見学中、何人もの人間が行方不明になっている。そう、彼らは帰って来なかったのだ! 残念ながら、地元警察はこの話を否定している。行方不明者はいないとのことだ。あくまでも噂にすぎないと否定している。しかし私は信じない!
 ならば、入場の際に見学者が記入しなければならない『誓約書』の意味は何だというのかっ!
 そして、別邸をさまよう気配。誰もいないはずの場所で、物音や何らかの影を見学者が目撃している。次ページの写真を見て欲しい。別邸を包む異様な雰囲気……」
「ヘーイ!」
「……?」
 暇すぎて、鹿目が残していったオカルト雑誌の記事を車中で朗読していた京語は、顔を上げた。
 交番で道を訊き、江口家の場所がわかったのが午後七時過ぎ。時間も遅いので、取りあえず今夜はどこかに一泊してから訪ねようということになり、旅館に辿 り着いたのが午後九時。しかし、「あそこは二十四時間営業の観光スポットだから!」と、鹿目が、「君はまだ小学生なんだから」という住吉を説得、論破し、 三人で『江口家別邸』に結局行くことになったのが午後十時。
 二人は別邸に行ったが、京語は駐車場の車中に残った。京語としても別に行きたくなかったのでよかったのだが、主に住吉の主張による。
「三人行って、もし三人ともに何かあったらどうするんだ京語!」
 だそうだ。
「万が一の時のため、一人はここで待機だ!」
 と熱弁をふるった。
 で、一時間ほど経過し、現在時刻午前零時だ。
 「読んでみてよ面白いから」と鹿目が貸してくれたオカルト雑誌月刊『ヤンデル』六月号に視線を戻す。
 深夜、それもエンジンがかかっていない車内でも雑誌を読めたのは、駐車場が明るいからだ。ライトアップされた駐車場は明るく、恐怖もへったくれもない。驚くべきことに、他の客らしき車もチラホラ停まっている。
 この時間帯で、立地条件も良いとはいえないのに、中々の集客力だ。
「ヘーイ!」
 また聞こえた。
「…………」
(気のせいに違いない)
 京語は無視した。
「ヘーイ!」
 さっきより近くで聞こえる。
「…………」
 チラッと横を見る。
「ヘーイ!」
 車の横に、全身黒タイツ着用、顔には仮面の不審者が車の横に立っていた。手には地元コンビニのビニール袋を下げている。カップから棒付きまで、アイスが満載だ。
 ちなみに、旅館に行く時に車で立ち寄ったので知っているのだが、そのコンビニは遠い。徒歩では絶対に一時間以上かかるだろうが、ショッ○ーは徒歩一分のところから帰ってきましたー、という出で立ちだ。
「ヘーイ! ヘーイ、ヘーイ、ヘーイ」
 京語はもちろんヘーイ語はわからない。しかし、とりあえず車外に出、ヘーイ語を返してみた。大人しくショッ○ーは待っている。
「ヘ、ヘーイ?」
「ヘーイ!」
「…………」
 返してみたはいいものの、後は続かない。
 とてもフレンドリーに京語に呼びかけてきたショッ○ーは自分の仮面を指差している。
「ヘーイ! ヘーイ!」
 さっぱりわからない。
「……えーと、この間の『修子様歓迎会』の時に知り合ったショッ○ーの人?」
「ヘーイ!」
「えー、日本語、話せないんでしたっけ?」
 確か普通に話していたような気がするが。
「ううん。喋れるよー!」
 あっさりショッ○ーは言った。
「でもヘーイ語のほうが断然楽だね。ボクとしては、ヘーイ語、母国語、日本語、の順だね」
 母国語……ということは、外国出身。外国出身のショッ○ーと言えば……。
「ノラン君?」
「ヘーイ! こんなところで会うなんて、奇遇だね、京語君」
「はあ……どうも」
 一番訊きたかったことを京語は単刀直入に切り出した。
「でも、なんでここに?」
 あっさりとノラン君も答える。
「ボス命令だよー。『修子ちゃんのところ、今人手が足りないそうだから、手伝いなさい』って。夏休みの間だけ、フリーショッ○ーの皆で住み込みバイト。ボクはホントはインドネシアに帰ってる予定だったんだけどねー」
「ボス命令……」
 京語は遠くを見つめた。見つめずにはいられなかった。
「あれ? 会わなかったっけ? 歓迎会にいた派手な衣装の女の人だよー」
(会ってます。知ってます。オレの母です)
 ふるふると京語は肩を震わせた。
「どうしたの京語君」
「……すみません」
 深く、心をこめて謝罪する。
 申し訳なさすぎて、ノラン君の目を正面から見ることができない。
「それより、京語君こそ、なんでここにいるの?」
「か、観光、みたいな?」
「そうなの? じゃあ、駐車場にいたらダメだよー」
「いや、オレは……」
「ヘーイ! そうだ! いいことを思いついたよ! ボクの予備だけどコレあげるよ」
「は?」
 ノラン君はヘーイ! とあるものを差し出して来た。
「今ならこれを着れば見学もタダ! フリーパス!」
 とあるものとは、圧縮パックに入った未開封ショッ○ー用スーツだ。一度、京語も着たことがある。
「ダイジョーブ。前も言ったけど、ショッ○ー登録はテキトーに誤魔化しておくからね! ヘーイ!」
 ノラン君は本気だ。


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