3. まるで病のごとし


 故郷の村を出、仲間たちと旅を始めてから、オレがまず覚えたのはモンスターとの戦闘方法――ではない。確かに当時は戦いに関してもずぶの素人だったが、そうではない。
 覚えたのはサインの書き方だ。
 オレは字が書けない。つい最近思い立って、仲間たちに空いた時間に字を教えてもらうようにしているが(エセ聖女は当然除外だ。あの女から学ぶことなど何もない。反面教師にすることはある)――それ以前からも唯一の例外として、自分の名前だけは書けていた。カーツ、と。
 何故か。
 宿帳に書く都合だ。リーダーとして記入しなければならない。リーダーでなかった時も雑用を一手に引き受けていたが、これはきっと大いなる神の意志だろう。どうせリーダーになっても雑用は引き受けたままだからたいして変わらん。
 リーダーとは何か? そんな疑問が浮かぶこともある。名ばかりか。ま、降格だしな。深くは考えまい。
 初めこそミミズののたくったようにしか書けなかった我が名前。だがどうだ。流れるように書けるようになった。美麗だ。何度も書いたからだ。
 宿泊に伴う様々な雑事を、オレが宿屋の受付で済ませている間、仲間たちは先に部屋へ行ってくつろいでいる寸法だ。仲間によって個性と協調性と社会性と優しさの差が顕著に現れる。手伝ってくれる奴がいい奴だ。手伝っても役に立たない奴は、まあ、気持ちは汲んでやろう。一番手伝ってくれて、しかもちゃんと助けになるのは当然リッテだ。リッテが仲間になってから、本当にオレは助かっている。
 なにしろ、おっさんは頼りにできるのはもっぱら戦闘面。貴族ボンボンは、こいつは金銭感覚やら何やらが崩壊しているから問題外。仮面魔術師は、仮面をいつでもどこでも付けているから、その怪しさで交渉役にはちっとも向かない。こいつらは手伝わんでいい。気持ちだけで充分だ。
 その点リッテは喋れないオレをうまく補佐してくれる。かけがえないの人材だ。
「相場より少し高いと思うのですが……」
「でもねえ、こっちだって商売だからさあ……」
 リッテは受付の婆さんと宿代について値下げ交渉してくれていた。装備をそろそろ新調しないとだから、出費はさけたい懐事情も察してくれている。この値下げ交渉も、今まではオレが身振り手振りで行っていた。相手の柄が悪かった時は――たまに、道徳に反する理念でもって宿屋を経営している奴らもいる――実力行使だ。
 ――リーダーとしてのオレの負担がどう考えてみても大きいのは、大いなる神の意志だろうから、よしとしてやろう。そう思い込んでいないとやってられん。
 だが。
 今でも覚えている。エセ聖女が仲間入りして初めて宿屋に泊まることになった時――あの女はとっとと二階に行きやがった。オレの手伝いもせず!
 この時は不慮の事故で、オレとエセ聖女だけの行動だったんだが、エセ聖女は一人、悲しみにくれていやがった! 悲しみにくれてもいいが、ほぼ初対面の他人と行動しているんだぞ。一人の世界に閉じこもるか? ああ? 
 いいか、あの時点では(現在でもだが)オレはヒロインとは他人だったんだぞ? 大いなる神の意志によって仕方なくエセ聖女を助ける流れになっただけで。
 オレだって過去と直面せざるを得ない出来事のすぐ後だったんだぞ? 自分の世話だけして一人で部屋に閉じこもりたかったのはむしろオレだ。
 それでもオレがすべてを手配するのが当然か? なあ。そうなのか? おっさんと合流するまで、自分の今までの人生観を疑う始末だった。
 とった部屋にいったら、ぽろぽろ「私……」とか泣いてたしな。あれはうざかった。お前、オレがいなかったら、無断宿泊で敵に捕まる云々以前に犯罪者だぞ? 「私……」なんて通用するか、阿呆が。雑事をこなしてから悲しむがいい。
 いいか。悲しむのはいいんだ。しかし時と場所と同行している相手のことも多少は考えろ。現実を知れ! 慰めて欲しそうな素振りも見せるな! 隠せ!
 オレはエセ聖女とはとことん反りがあわない。
 おっさんと合流した時は、オレは心から再会を喜んだ。おっさんが愛しくてならなかったほどだ。エセ聖女との二人行動は拷問だった。人助けはしたがるくせに自分ではなんっにもできないから、結局人助けをするのはオレになるわ。そのくせ、さも自分がやったかのように振る舞うわ。
 こんなのもあったな。浮浪者に施しをと呼び止められて「お可哀想に……」とヒロインが見たのはオレ。ほーう。オレに金を出せと?
 怪我人を発見した。当然エセ聖女は治療を申し出る。なんでも治療には特別な薬草が必要らしい。微笑みながら、「紫色の花が咲いているトゲつきの草ですから」だと。ほーう。怪我人を助けたいと率先して言い出したのはてめえだが、必要な薬草はオレに探して来いと? ……怪我人のために。怪我人のために! 探してやったが。
 寛容の心が確実にすり減った数日間だった。
「あんた若いのにうまいねえ……! 負けたよ。よしいいだろう! 三割安だ!」
「ありがとうございます」
 リッテの目線を受け、オレは我に返り、サインを書き終えた。カーツ、と。
 仄暗き昼、手前の小さな村。村に一軒しかない宿屋で宿泊手続きが完了した。
 オレは惜しみない賞賛をリッテに送った。エセ聖女が仲間にいるせいで常に不機嫌状態に近く、必然的に無表情なことが多いオレだが、リッテには感謝の笑みを頻繁に向けている。
「いえ……どういたしまして」
 しかし、居心地が悪そうに、リッテは視線を逸らしてしまう。この子にも辛い過去がある。誰かに感謝の気持ちを示される。こんな他愛ないことにも、不慣れだ。しかも辛さを口にしない。わざわざ辛い過去標準装備な自分をアピールしてくるどっかの誰かとは大違いだ。
 つくづく不思議でならない。
 確かに、単純に容貌だけで見るなら、エセ聖女に軍配があがる。だがリッテの方が頭もよくて役にたって機転もきいて辛い過去標準装備で若くて可愛い。
 オレにはリサちゃんという心に決めた人がいるが、エセ聖女かリッテなら、断然リッテが好みだ。人間性という点においても、あらゆる面においてリッテが優っているのに。
 リッテ教ならオレも入ってもいい。
 なのにヒロインはエセ聖女。
 大いなる神の意志がオレには理解できない。
 何故あの女が周囲から賛美され好かれるんだ。お前ら絶対おかしいだろう。
 心の奥の奥に問いかけてみろ!
 世界滅亡を防ぐより、オレはこっちの問題をどうにかした方がいいような気がしてきた。
「遅くなってしまいましたから、クリステル様たちも心配しているかもしれません」
 そうか?
 してないと思うぞ。忘れられし雨の件で、悲しみにくれる自分にいまだ酔っている可能性はあるが。そして貴族ボンボンやおっさんが慰める。仮面魔術師は部屋の隅か窓辺に佇んでいる。こんなところか。
「カーツさん。部屋に行きましょう」
 リッテの顔には、「クリステル様が心配です」と書いてある。
「…………」
「カーツさん?」
 こんなにいい子なリッテなのに、頭もいいのに、ヒロイン教か……。度し難い。
 エセ聖女に関して蔓延している病巣は、オレが思っているよりも深いようだ。誰もかれも絶対にエセ聖女を否定しないものだから、逆にオレが不安になってくる。
 間違っているのはオレなのか……? オレもエセ聖女を受け入れるのが正しい流れなのか……? そうすべきなのか……?
 ――いいや!
 そんなもん認めてたまるか馬鹿野郎。
 病は気からとも言う。何を弱気なことを。オレらしくもない。
 オレはこの病に染まらずに、必ずや旅を終えてみせよう。
 もし万が一。万が一。万が一、ヒロイン教に染まったら、それはオレという意志が死滅する時。たとえ生きていようが死んだも同然だ。

 ああ。ちなみに、オレの予想と寸分違わない光景が宿屋の部屋では繰り広げられていたことも付け加えておくとしよう。



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