4. 未知なる存在


 ――ごく潰しが一時的に一人増えた。ことの経緯はこうだ。ごく潰しのその男は道端で野盗に襲われたとかで、物品を全て奪われて途方に暮れていた。
 これがハンス、二十五歳だ。
 使えなさそうな奴だ。
 自称商人。身なりはそこそこ良く、茶色の髪と目は愛嬌があると言えないこともない。なんでも一大商業都市のたゆまぬ富では有名な一族として知られている身らしい。まあ、それが事実にしろ、適当な嘘にしろ、オレたち一行にはなんら役に立たない人材だ。
 剣も斧も弓も魔術も使えないとあっては。
 戦えない奴がこれ以上増えたら困るだろ? 出し惜しみのエセ聖女だけで手一杯だ。
 エセ聖女の、「仄暗き昼まで同行させてあげることはできませんか?」なんていう提案は当然却下だ却下、とオレは思っていた。リーダー特権で強制採決するつもりだった。一人増えたら苦労が増える。それが旅というものだ。
 仲間も内心では同意見だったことだろう。
 しかし。理由あって、オレは逆に、仲間の反対を押し切ってハンスを同行させることにした。エセ聖女の、「私のお願いをきいてくれたのね」という勘違いもはなはだしい感謝と、なんか甘さのこもった視線も受け流した。
 ハンス。
 こいつは最高だ!
 エセ聖女とこいつの会話の一部を紹介する。
「ハンスさんは、たゆまぬ富から商売のために遠出を? 勇気がおありですね」
 ここで、今までの常なら、誉められた相手は、自分の夢や鋼の意思なんかをエセ聖女に語る、という流れで進行する。そしてあっという間にヒロイン教が一人誕生。
 ハンスはこうだった。
「いいえー。実は実家の金を持ち逃げして、ついこんな所まで来ちゃっただけなんです」
 あっけらかんというハンス。エセ聖女が言葉につまるのを久方ぶりに見て、オレは胸がすく思いだった。いいぞハンス。もっとやれ。
「で、ですけれど、やはり後悔なさっておられるのですよね」
「えー? それなりにー?」
「そ、それなり……ですか」
 いいぞハンス!
 二人の会話が続けば続くほど、エセ聖女の顔つきが険しくなってゆく。そしてついに、エセ聖女お得意の説教に突入した。
「ハンスさん……。それでいいんですか? そんな生き方をしていて。あなたは……」
「僕ね。こういう自分が大好きなんです。不満ないです。そりゃあたまにはこれでいいのかなーって思うこともありますけど、ま、いいかなーって」
 オレは悟った。こいつなんも考えてねえ。本能で生きてる。
 喜怒哀楽のうち、喜と楽だけあればいいやと思ってる。悩みがあっても、三歩進めば忘れることのできる脳みその持ち主だ。
「ほら、今だって皆さんに助けられたしー」
 えへらえへらと笑っていた。
 ハンスはエセ聖女の説教を、素でかわした。説教がこれっぽっちでも心に響いた様子はなかった。
「親父や兄にはねえ、駄目な奴だ駄目な奴だって言われてきましたけど、僕、家出てもなんだかんだで生きてますしー。あ、あと、クリステルさん、僕、家に帰ったらきっと殺されると思いますよー。あはは」
 見るからに何の役に立ちそうもないハンスが、エセ聖女をやりこめていたのだ。
「それと、僕って、負けているように見えて実は勝ってる事が多い人間なんでー。クリステルさんももっと楽に生きたらどうですかー? 肩こる人生送ってません?」
 逆に諭し返しさえしていた。
 ハンスとエセ聖女を一緒にしておけば、エセ聖女が大人しいということも、オレは発見した。エセ聖女にとって、ハンスという人間は、遭遇した初の、話の通じない人間。つまり、オレにとってのエセ聖女そのものだが。
 未知なる存在。
 オレからすればハンスなんて、単に遊び好きの放蕩息子にしか見えない。こいつはホントに自分が大好きで、楽しいことだけして過ごせればいいだけだ。きっと女と酒と食いものも好きだろう。これほどわかりやすい人間もいない。
 ――オレにはわかっていた。ハンスを連れていけば、それだけ厄介ごとが増えるだろうことは。何しろこいつは、戦闘に備えろと言われ、何の用意もせずに突っ立っているような奴だ。モンスターが近くにいると、機敏に動き、即助けを求めてくるような奴だ。
 しかし、対エセ聖女要員としては使える!
 こいつはヒロイン教に染まることは絶対にない! 断言できる。
 何故ならばハンスは、己に満足しているからだ。説教で救われるような心の傷もない。いついかなる時も心は満たされている幸せな男。それがハンスだ。
「いやー。皆さんに拾ってもらえて本当によかったなあ」
 今も暢気に鼻歌を奏でている。
 夕食の時間になり、オレは奴と意思の疎通を試みることにした。今日は野宿だ。夕食当番は仮面魔術師。意外に美味いものを作る。腹も一杯になったところで、ハンスを呼び寄せた。人差し指でハンスと地面を交互に指差してから、装備していた剣を使って地面に字を書き始める。
「なんか書くんですかー。苦労しますねえ……。喋れないと」
 ベラベラとハンスは一人話し続けている。オレは四苦八苦しながら、字の綴りを考え考え、一文字ずつ書き進める。
「でもカーツさんの場合、喋れないから必然的に無口になって、それがきっと逆にいいんじゃないですかねー。無口な男がいいって子、結構多くて」
 無口な男は内面も寡黙だと勘違いしてる輩も多いからな。馬鹿野郎。オレは喋れないだけであって饒舌だ。毎日ぼやきだらけだ。
 完成した。おそらく、これで正しいはず。読めハンス。
「できましたかー。どれどれ……。えー、このまま……」
 ハンスがオレを見る。
「――仲間になれ?」
 腕を組み、オレは大きく頷いた。単純かつ直球に伝えた。このまま仲間になれ。
 ハンスが笑顔で頭をかく。
「ヤです!」
 即答した。
「空気悪そうな団体行動って嫌いでしてー。だから仄暗き昼までで!」
「おーい。何してるんだお前ら?」
 食後の酒をたしなんでいたおっさんが割り込んできた。オレは目撃されても構わなかったというのに、ハンスが素早く動き、さりげなく足で『このまま仲間になれ』をこすり消した。
 ――こいつ。できるな。状況がまったく読めない男かと思っていたが、中々どうして。
「なんでもないでーす!」
 ハンスはオレに手を振った。
「じゃ! そういうことですから!」

 惜しい。実に惜しい。
 結局、ハンスとは仄暗き昼で別れた。
 しかし奴とはまた会えそうな気がする。



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