6. 断固拒否


 困ったことに、エセ聖女が目を覚まさない。今回は日数が長い。ハネパワーを解放したのが負担だったらしい。いや、オレはちっとも困っていない。貴族ボンボンを筆頭に、命にかかわるかもしれないと仲間は非常に心配している。しかしオレは、だ。このまま放置しておいても良いんじゃないかと思っている。
 むしろそうすべきだ。
 そのうち起きるに決まっている。あえて、絶対、とつけよう。
 考えてもみろ。
 相手はエセ聖女だぞ? 何故かほとんどの奴から、無条件に(どいつもこいつも洗脳されているのでは、とオレが疑わずにいられないくらいに)受け入れられる存在だぞ? 
 そんな女が簡単に死ぬはずがない。第一、今が死にそうな場面であるなら、もっと盛り上げてくるはずだ。悲劇と辛い過去(内容は知らん。できれば永遠に! 永遠に知りたくないものだ)も強調してくるだろう。
 誤解しないで欲しい。倒れて目を覚まさないのが他の仲間であったら、俺も心配する。もちろんどうにかしようと努力もする。
 しかし、だ。エセ聖女に関しては目に見えない絶対加護みたいなものが奴を特別扱いしているような気がしてならないので、これは大いなる神の、オレとエセ聖女を近づけようとする罠なんじゃなかろうかと疑心満杯なだけだ。
「精神的な問題が、彼女の覚醒を妨げているな」
 仄暗き昼。元敵でエセ聖女の説教で寝返った武官の邸宅。天蓋付きのベッドにエセ聖女は寝かされている。老医師がエセ聖女の額に手をかざしている最中だ。光玉がそこに浮かんでいる。俗に言う癒しの力だ。
 老医師は高名な、仄暗き昼一番の医師とかで、武官が厚意で呼んだ。厚意でな。
 医師の説明を一言一句逃さんとする様子で耳を傾けつつ、心配そうにエセ聖女を取り囲んでいる貴族ボンボン、おっさん、リッテ。
「どうすれば……? どうすればクリステル様の目を覚ますことが……?」
 ほぼ毎日思っているが、オレはリッテのヒロイン教に曇った目こそを覚まさせてやりたい。
 扉側の壁で大きなため息がひとつ。仮面魔術師だ。
 そう。眠ったままのエセ聖女より、オレが動向に注意を払っているのはこいつだった。
 「度し難いな」の呟きをオレは忘れていない。しかし、エセ聖女が目覚めない騒動のせいで仮面魔術師と話す機会が今の今まで、というか今もない。
 仲間と一緒に行動するということ。それはつまり団体行動。『クリステル様が心配ですの会』を放って単独行動しようものなら、「クリステル様は苦しんで(ちなみに、エセ聖女はすこやかに眠っているようにしか見えない。オレだけか?)いるのに!」の非難を浴びるという理不尽な思いをする羽目になる。
 よって、オレは内心のイライラで足を慣らしながら、部屋を見渡せる窓側の壁に寄りかかり、腕を組んでいた。時たま、リッテが、「カーツさんも、口には出せないけれど、クリステル様をあんなに心配して……」とでも思っているんじゃないか、な視線を寄せてくるのが心に突き刺さる。
 ……リッテ。傍目からはそう見えるのかもしれないが、それは違う。違うぞ!
 文字で説明しようとは、した。ただ、まだ文法がうまく組み立てられないオレには、長文は無理だった。この想いを伝えようとすると必然的に長文になってしまう。一言でなど言い表すことはできない! 
 まあ、結果としては、リッテの勘違いを増幅させただけだった。不覚。
 耐えられん。早く(自力で)目を覚ましてくれ、エセ聖女。
 オレは、はじめてエセ聖女に願った。
 しかし、聞こえてきた老医師の言葉に、オレは恐怖で目を見開くことになった。
「治療法としては、彼女の最も近しい人物が、彼女の精神に入り込み、意識をすくい上げるのが方法のうちのひとつですな。肝要なのは両者の絆で……」
 ……いいか。
 絆なんぞオレとエセ聖女の間には微塵もない。ないぞ。
 ――何故だ。
 何故、お前ら、そこでオレを見る。貴族ボンボンは悔しそうに。リッテはどこか複雑さを含ませた瞳で。おっさんはお前しかいないだろう、という目で。
 仮面魔術師は、はー、とまたため息ひとつ。オレは仮面魔術師になりたい。
「カーツ。悔しいが、ここは貴様しか……。クリステル様が想うのは、おそらく」
 オレだ? と。
 待て。待て待てランドル。
 オレの意志は? てかお前はクリステルが好きなはずだ。お前が行け! オレが許す。
「カーツさん……」
「カーツ!」
 リッテ、おっさんと続く波状攻撃だ。
 くっ……! ここしばらく、気を抜いていたのが祟ったか。
 疑心は大正解だった。オレとエセ聖女を恋愛の渦に投げ込もうとする恐るべき流れ! ずっと、うまく避けてとおってきたというのに!
 ここでエセ聖女の精神へ入って絆なんぞ深めたら、後戻りできないコースが構築されてしまう。というか、そんなことになったらオレが致命的ダメージを負う。
 死ぬ。自由な心が。
 断固として避けねばならない!
 逃げ道……。逃げ道は……? 他に方法……。
 辛い。辛すぎるぞ。頼れる仲間も、ヒロイン教に囚われている間は敵よりも厄介だ。せめてもと、オレはギロリと老医師を見た。
 そのままツカツカと老医師に歩み寄った。練習用に常に持ち歩いている安紙にモンスターの毛で作った自作のペンで文字を書き殴る。
『方法。もうひとつは?』
 老医師に突きつけた。意識をすくい上げるのが方法のうちのひとつ、と確かにこの老医師は言った。ならば他にも方法はあるはずだ。老医師は目を細め、「読みにくいねえ……」などと不満を漏らした。
 それはわかっている。字は練習中だ!
「ああ。やっと読めたよ。もうひとつねえ。あるにはあるが……しかし」
 オレはまた考え考え字を書き殴る。
『頼むから言ってくれ』
 本気で切羽詰まっている。
「頼むから……やってくれ? 彼女の治療を? 君が彼女の精神に? さっそく準備を」
 違う! オレが首を振ると、老医師は「違う? そうか? えー」と再び安紙を凝視した。
「――うーむ。言う、か、これは、言ってくれ、か。そうかそうか。頼むから言ってくれ。そうだろう!」
 難解な古文書を解読したかのような達成感溢れる老医師の顔が微妙に不愉快だったがオレは頷いた。
「仄暗き昼北の山に棲息している魔獣が同じ治療効果を対象に施せるらしいんだよ。ただ、そのためには魔獣を従わせる必要がある。これなら彼女も絶対に目を覚ますだろう。しかし、どちらかというこれは対象を強制的に叩き起こすようなもので……」
 よし。それだ。神よありがとう。要するにこれまでもやってきた『おつかい』の一種か。強制的に叩き起こすのもオレ好みだ。
 オレは深く大きく頷いた。
「挑んだものはいずれも消息不明だ。帰ってきた者もいない。せめて、お前さんが彼女への精神治療に臨み、それに失敗したらに……」
 馬鹿野郎。断固拒否する。
 手を払う。行く、という意思表示だ。
 精神治療なんか、オレがやったら絶対成功するに決まっている。
「カーツ。貴様、クリステル様のためにそこまで……」
 負けた、とでも言うかのように、貴族ボンボンが肩を震わせる。クリステル補正で物事が解釈されてしまう呪いは、本人が眠っていても顕在だ。
 お前とオレは恋愛面において勝負すらしていないからな? エセ聖女を巡る戦いはそもそも存在していないんだぞ。


 ――オレは何をしようとも逃れられぬ蜘蛛の巣にはまっているのだろうか。
 三度目の、はー、という仮面魔術師のため息だけが救いだ。
 きっと奴とオレの心境は近い。



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