7. 世にも奇妙なぬい


 でかいうさぎのぬいぐるみが二足歩行をしていたら大抵の人間は驚く。それが喋りでもしたらさらに驚くだろう。
 不思議にも限度ってものがある。
 いわばどこまで一般常識として看過されるかの、許容の限度だ。
 オレの住む世界はモンスターが生息し、奴らを倒すと何故か経験値というものが入り、おまけにモンスターは共通通貨まで持っている。
 しかも、ダンジョンにはどう見ても考えても誰かが置いているとしか思えない宝箱があったり(隠し通路にも置いてあったりするものだからたまに腸が煮えくりかえる。置くならわかりやすい場所に何故置かん。本当は取って欲しくないのか? そうなのか?)と、不条理がまかり通っている。そんな世界だ。
 そんな世界だが、二足歩行のぬいぐるみは見かけない。普通でもない。許容の範囲外だ。明らかにおかしい。生ならまだしも――。
 いや……まさかとは思うが、生か?
 絶命した魔獣の死骸の山を傍らに、オレは顎に手をやり、少し考えた後、ぬいぐるみの腹の毛をぎゅっと掴んだ。体温はないし、安物の綿毛だな。生ではない。
「人様の皮と肉を掴むなこの野郎!」
 抗議された。柔らかい腕がオレの手をたたき落とした。口調も態度も乱暴だが、うさぎはつぶらな目をしている。黒いガラス玉に刺繍で縁取りがしてある。
 そして、これを忘れてはならない。うさぎのぬいぐるみはオレの命の恩人なのだ。
 エセ聖女、クリステルの目を覚ますため、オレたち一行は仄暗き昼の北に位置する山に向かった。オレは道中、いつもの選抜メンバーで戦い、後一歩のところで分断された。
 語ると非常に、ものすごく長くなるので割愛する。経過や何やらに差異はあれど、まあ、要はいつも通りだ。
 結論だけ語ろう。
 意識不明のはずのエセ聖女のせいだ、と。意識がどうとかオレたちの手助けをしたいという意志が具現化(ハネバージョンだった)してどうこうとか、魔獣の罠がどうこうとかあったが、これに尽きる。集約される。
 具現化している暇はあるのに、何故自力で目を覚ませないのか。
 それでも、手助けをしたいと言う意志は一〇〇〇〇〇〇〇歩譲って評価するとして、何故邪魔ばかりするのか。
 お前、実は手のひらの上ですべてを操ってんだろ? そうだろ? と問い正したくなる。
 気のせいであることを切に願う。
 結論だけを語るつもりが、長くなってしまった。オレの悪い癖だ。エセ聖女について述べようとすると長くなる。
 ――ちなみに何度であろうと断っておくが、こんな風に語ってしまうのは、エセ聖女に対する愛情の裏返しのせいだ、なんてことは絶対にない。最近、思考がエセ聖女の斜め四十二度の解釈を自然と想定し先回りして否定する癖もついてきている。全否定だ。
 ともかく、山中で仲間は二手に分かれた。オレは仮面魔術師のユークロアと一緒になった。しかしオレにとってはまたとない、お前はヒロイン教の信者か否か、を問う絶好の機会だ。それが不覚ながら隙となった。潜んでいた二体の魔獣に気づくのが遅れ――。
 一体は切り捨てたがもう一体が仮面魔術師に向かった。攻撃により仮面が砕かる。現れたのは顔だけは完璧エセ聖女クリステルにも劣らない黒髪の美少女――。
 ……ん?
 美少女。美しい少女、と書く。
 オレは目の前に立つ兎のぬいぐるみを見つめた。……美少女、だと?
「何だよ見んじゃねえよこの野郎」
 ぬいぐるみはオレに掴まれ生地にできた皺を、片耳を残念そうに垂らしつつ、引き伸ばしている。この動き。仕草。やはり、生ではないが生きてはいるのか?
 ――黒髪の美少女は魔獣に魔術で対抗した。それをオレはしっかりと見た。
 いや、その前に、仮面魔術師ユークロアこと、黒髪美少女? の実力に言及しておく。
 この世界には魔法と魔術がある。魔法は結構誰でも使える。ちょっとの才能と努力と暗記力。他に早口言葉ができれば何とかなる分野だ。むしろ一番重要なのは危機的状況においても冷静に早口言葉を唱えられる技術だ。
 対し、魔術は才能がすべての世界だ。生まれつき力量が決まっていて、どんなに努力しようとも本来持っている能力以上に成長することはない。よって魔術師は、魔術師であることは明言していても、実力を隠す傾向がある。必然的にハッタリも横行する。実際一緒に戦ってみると、口だけだった、なんてことはざらにある。残念ながらその逆はあまりない。
 そんな中、ユークロアは、本物だった。魔術は高度になるほど増える、魔法でいうところの早口言葉が必要ない。地力があれば強魔術を短時間で連発できる。しかしそれができる人材となると、中々いない。結局時間がかかっても、早口言葉を連発のほうが効率が良かった、なんてこともある。
 ユークロアは戦闘に出すとポンポンと強魔術を唱えていた。だが――オレはいつも、微妙な引っかかりを覚えていたのだ。魔術師というのはいかに魔術が強かろうとも、肉弾戦には弱いから、周りが守らなければならない。にもかかわらず、魔術を発動する前、ユークロアは前に出たがる。魔術を使おうとする段階になって、我に返って渋々下がる――。
「うし! 戻るか」
 皺を伸ばし、生地の手入れを終えたぬいぐるみが叫んだ。気合いを入れているようだ。煙がうさぎのぬいぐるみを覆う。魔術の発動か。戻る、と言ったな。
 オレは経緯を見守ることにした。オレの予想が正しければ、煙の中から現れるのは黒髪美少。
「あー。まだムリだわ。がっかり」
 うじょ、じゃなくてまんまだ。でかいうさぎのぬいぐるみだった。
 さきほど、魔獣の猛攻に黒髪美少女はキレた。二体の増援に加え、他に九体も魔獣が合流し、オレも黒髪美少女、もといユークロアの援護が難しい状況になった。
 と、魔術が途切れ、煙が辺りを包んだ。その時、煙の中から突如登場したのがこのぬいぐるみだ。ぬいぐるみの猛攻が始まった。
 オレが思わず唖然とするほどの肉弾戦っぷりだった。ぬいぐるみの独壇場だった。それまでは苦戦していたから、ぬいぐるみはオレの命の恩人と言っていい。
 オレはしょげているぬいぐるみに歩み寄ると、腹の生地を掴んだ。悲痛な叫びがあがる。
「だから人様の皮と肉を掴むなこの野郎!」
 結構触り心地いいかもしれん、このぬいぐるみ。しかし動物は生が一番だ。これだけは譲れない。
 オレは地面を剣先で示し、「ユークロアはどこだ?」と書いた。この剣も最近筆記用具がわりになっていることが多い。
「…………」
 ぬいぐるみは両耳を垂れた。
 次に、うさぎのぬいぐるみは、オレに剣を貸せ、と身振りで伝えてきた。渡してやると、非常に達筆な文字で、オレの質問の下に、「ここ」と書いた。

 ――ここ?



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