9. み……?


 過去の偉人(ではなかったとつい先程知ったが。できれば知りたくなどなかった)の中でも、英雄ユークロアは人気が高い。そこには、ある本の影響がある。
 ユークロアを描いた書物、『ユークロア物語』だ。非常に分厚い巻数本で、総枚数二万九千二十一枚に及ぶ大長編。全三部作。作者は三十年かかって書き上げたらしい。生涯を注ぎ込んだらしい。そのわりに作者は不明だ。
 ……というかだな、果たして完読した奴は何人いるのか。一桁じゃないのか?
 まあ、少なくとも最低一人は存在するのは確かだ。二万九千二十一枚を簡略化して紹介した人物がいるからだ。今現在伝わっているのはこれだ。
 無論、俺はこの間まで字が読めない書けない一般村民だったので、それすらも読んだことはない。
 だが、オレがその長い長い物語を二行にまとめて見せよう。

 完璧超人超美形ユークロアが、王家の姫だった麗しき超美人聖女エウシアと手を取り合い、戦を終わらせた。二人は紆余曲折の果てに結ばれる、だ。

 ちなみに、一部の終わりで敵を倒すまでが終了し、残りの二部と三部は丸々勇者と聖女二人の擦れ違いと葛藤を描いた泥沼劇と化す。
 子供たちは親から寝物語にユークロア物語を聞いて育つ。オレの村では一部は男人気が高く、二部三部は女人気が高かった。
 なお、二部と三部をまとめるとこうなる。
 
 ユークロアは国の分裂を避けるため、嘆き、一緒に連れて行って欲しいと懇願するエウシアを振り切り、旅立った。彼の行方はようとしれない――。
 
 こんな具合だ。
 いかんせん、原本を読んでいないので断言はできないが、巷に流布している話の筋としてはこれだ。
 ユークロア本人から真相を聞いた今となっては、表版ってところだろう。
 ――では、真相。裏版は。
「あの女さー。本来の勇者ってやつ? あ、本物のユークロアね、そいつがあっさり死んでさー、困ったわけだ。そこで運良くおれが大活躍したわけだ。あの時からすでにおれを利用し活用しさんざん使って捨てるつもり算段だったに違いないんだな、今思えば」
 大昔のハネ女、もといヒロインのエウシアがどうこうより、まずオレに衝撃を与えたのはこの告白だった。
 聞いた直後、オレの動悸は激しくなり、凄まじい憂鬱感に襲われた。
 ユークロアという人物は、大いなる神の託宣によって選ばれた特別製の勇者だった、と伝えられている。故に、第一次戦役という当時の戦でそりゃあすごい活躍をした。第一部序盤の山場だ。おれも子供心に血湧き肉おどる活躍に目を輝かせていたものだ。
 が、ユークロアはユークロアでも、ユークロア違いだった。
 あれだ。
  託宣有りの真ユークロアさんは、第一次戦役でかなり早々に戦死した。初日で消えた。そのかわり、頭角を現したのが奴隷で雑魚戦力として駆り出され名前すら なかった、名無し三百五十五、という青年。呼び名、そのまんま三百五十五。兵士登録されたのが三百五十五番目の奴隷だったから、という理由だ。
 そして、丁度いいから国家権力によって死んだ真ユークロアのほうは最初からいなかったことにして、三百五十五をユークロアにした、と。発案、演出、聖女エウシア。
 ……恐ろしい。
 何が恐ろしいか、だと?
 オレも似たような出立だったからに決まっている。
 オレは今現在勇者ご一行のパーティーリーダーのような立場に何故か置かれているが、本当はだな、居たんだ。修行もして、出立予定っぽかったやつが村に!
 だが、わからん。わからんが、雑魚村人カーツとしてエセヒロイン、クリステルと会った後、何故だか本当に心の底から本当に理解不能だが、オレが村を出る羽目になっていた。
 断言しよう。それまで、フラグらしきものも、兆候など一切なかったと。
 オレ自身について、ちょっと変わっていた点は、あるとすれば『オレが喋れない』という点だが、こんなもん、エセ聖女がそこらの人に発揮するおせっかいで万事解決程度のレベルに過ぎん。むしろそれらとオレの違いがわからない。
  そして、これこそ――オレの喉にある封印陣の謎を解き、声を取り戻す――旅に出た動機ではあるが、なまじパーティーを組んでの旅になってしまっているせい で、余計な手間が芋づる式に――主にエセ聖女起因のおせっかいとかおせっかいとかおせっかいとかおせっかいとか――増加し、そんな初心すら忘れていること もしばしばだ。
 今思えば、とユークロアは語っていたが、それこそ、今思えば、オレの場合は、あの、村にいた勇者っぽい奴(接触がほとんどなかっ たせいで名は失念したが、いい奴だったように記憶している。そういえば、奴はどうなった? 今も村にいるのか? 謎だ)がこの場にいるはず、いや、べきな んじゃないのか? 考えれば考えるほどそんな気がしてきた。
 だとしたら。
 だとしたら、だ。エセヒロインとの出会いがオレの村人人生――食堂の看板娘のリサちゃんとの幸せ――を狂わせたとしか思えん。
 ここで比較だ!
  ユークロアの主張によると、かつての聖女エウシアは、危機を脱して平和になった途端、好きな振りをして好意をちらかせ利用し続けた用済みのユークロアと結 婚、安心させ、それでいて巧妙に追い詰め、結局殺しそこないこそしたが、呪いをかけ、うさぎのぬいぐるみにまで追い落とし、自分は聖女として女王として好 きな男と二度目の結婚をした悪魔の勝ち組。
 しかし――ユークロアの場合、はじまりはどうも不慮の事故のようだが、まさか、オレの場合、エセヒロインの計略……? そんな疑惑が湧いてきて困る。天然で鈍感で自分が正しいと思っているハネ女だと思っていたが、まさか……?
「それでさあ……呪いが変に作用しちゃってさあ……こんな、不便な身体に……。いや、あれはおれ以外なら即死だったはず……。さすがはおれ……。…………。……? おい、カーツ、聞いてんのかっ?」
 突然、うさぎのぬいぐるみが不便そうに、綿のつまった手で人差し指を作り、オレに突きつけた。こいつ、そうは見えなかったが相当溜まっていたのか? 逆算するとただの人間だったくせに相当の年だしな……。愚痴っぽい。
 地べたに座り込んだまま、顎に手をやり、考え中だったオレは、脇に置いてある愛用の剣を手に取った。
 それまでの書き文字を消してから、剣を動かす。
『話が、長い』
 それも、同じ内容を何度も何度も。
 しょんぼりと、うさぎの耳が垂れ下がった。それを見てから、またオレは文を続けた。
『なんで、ここにいる?』
 ユークロアは長ーく話していた割には、不明な点が多い。どうやら呪いにかかってこんならしいが、その詳細は何だ、とかだな。
 何より――真意だ。
 どうしてかつての英雄が、オレたち一行に加わっているんだ? ん?
 お前、オレより強いだろ? な? 絶対強いだろ? 今まで手を抜いてやがったな? 今度から常に主力に投入してやる。選抜メンバーだ。
「あ あ。それは、クリステルがエウシアの子孫だし、今は激弱だけどな、うまくすれば、おれの呪いを解けるようになるんじゃねえかなあ、と。近くで見守るのが一 番だろ? 死なれても困るし。しっかし、精神的にクんな。この役割。クリステル、そっくりなんだわ、エウシアに。まー、エウシアのは演技だったわけだが。 ほら、お前以外の仲間の面々、クリステルにめろめろどろどろだろ? 昔のおれもパーティー時代はエウシアにあんなだったのかと思うと、黒歴史ぶりに身を灼 かれるような羞恥心がだな……」
 ――待て。聞き捨てならん。
『ハネおんな、子孫?』
「ハネ女ってお前さー、クリステルを内心でボロクソに言ってんだろ、普段」
 それがどうした。
『しつもんに答えろ』
「クリステルは、エウシアの子孫。つまり、王族。あ、本人も知らないんだっけ?」
 ――しまった……!
「な、なんだよ……」
 知りたくもなかったことを知ってしまった……。オレの馬鹿野郎! エセ聖女は、一応、階級は平民ってことになっているのに! 実は王族でしたー? オレはエセ聖女の過去など知りたくないんだ! クソッ!
 苛立ち紛れに、剣を振り上げ、数歩分離れた場所に投げ捨てる。
 剣は真っ直ぐに飛び――何かに突き刺さった。しかし、そこには何もないはずだが。
 ピシリ、と空間に亀裂が走る。大きく、地面が揺れた。
「あ? 解けたか?」
 ユークロアが呟いた。
 視界が歪み、酩酊感に包まれる。
 覚えていたのはそこまでだ。


「良かった……! 目が覚めたのね」
「どうなることかと思ったが……これで一安心か」
「カーツさん……」
「ふん! このままくたばればよかったものを。さっさとクリステル様から離れろ」
「…………」
 オレは、眠っていたらしい。口々に声がかけられる。順番に、エセヒロイン、おっさん、リッテ、貴族ボンボン、そして、一人だけ無言だったのが、仮面魔術師ユークロアだ。
「カーツ……!」
 エセ聖女が感極まった声で、オレを呼んだ。声が近い、というか、この体勢は……?
 オレは俊敏な動作で跳び起き、さっとエセ聖女から離れ、周囲を見渡した。なお、オレの腕にはあまりの恐怖のために鳥肌が立っている。
 何故ならば、たった今まで、オレは、エセヒロインに膝枕をされていた……!
 人が意識を失っている間に恋愛フラグを立てようとしてくるとは、何と恐ろしい……! そこ! 今、意識しました、という風に顔をふせるな! 恥ずかしそうに頬を染めるんじゃない! 貴族ボンボン! 嫉妬混じりの視線を送るんじゃない! 
 不本意だ。実に不本意だ……!
 だいたい、エセ聖女は寝ていたはずだろうが! ぴんぴんしているのは何事だ。
 視線を彷徨わせる。冷静に、この状況を説明してくれそうな人間は……。
 リッテだ。
 ちょうど視線が合った。リッテは小さく微笑むと、経緯を説明してくれた。
  仄暗き昼から北にある山に向かったオレたちは、首尾良くエセ聖女に治療を施せる魔獣に出会った。それも、親玉の魔獣にだ。が、その魔獣の幻術にかかり―― 全員、なにがしかの光景を見せられていたらしい。仲間の危機を察したエセ聖女は、遠き地(仄暗き昼にある邸宅の中の天蓋付きベッド)にいたものの自力で覚 醒、いつもの火事場の馬鹿力ならぬ出し惜しみ(しているとしか思えない)不可思議パワーで山まで瞬間移動、魔獣を倒して、オレたちを助けた――と。しか し、オレとユークロアは中々目覚めず、結局、オレが目を覚ましたのは最後だった。
 なんというか、だな……。
 つまり、仲間と分断されたのも、うさぎのぬいぐるみユークロアと話したのも、すべて幻だった、ということか?
 ユークロアを睨んだが、仮面魔術師の表情は見えない。ただ、オレの視線には気づいたらしく、
「何か?」
 と、淡々と返してきた。おれが、おれが、と自己主張が激しめだったうさぎのぬいぐるみの面影は微塵も感じられない。あれが、すべて幻……。
 オレが苦悩していると、おい、と貴族ボンボンが肩を掴んできた。
 何だ。
「クリステル様に礼はないのか。貴様を心配し、膝を貸して下さったのだぞ!」
「そんな……私は……」
  幻術――主に、魔物だけが使えるのが幻術だ――にかかっていたのは認めるとしても、解けたのはアレのせいだろう? オレが剣をぶん投げたやつ。おそらく、 オレとユークロアに関しては、魔獣を倒しただけでは、幻術解除には至らなかった。が、アレが効いて、不慮の事故だが――現実に戻ってこれた、と。
 魔獣を倒したという点では感謝してもいいが、目覚めたのは十中八九自分のおかげだしな。エセ聖女が最初から自力で起きていればこんな危機もなかったという考え方もできるわけだ。しないお前らがオレは不思議でならない。
「…………」
 息を吐いた。
 まあ……仕方ない。
 礼の意思表示として、軽く、頭を下げる。
 が、奴らは見ちゃいなかった。
「しかし、クリステル様……! あなたは無理をして……!」
「皆が、無事なら……」
 お馴染みの小芝居の最中、くらり、とエセ聖女の身体が傾いだ。来た。もはや何度目か。ヒロイン特有のお約束だ。
 オレはその方向を正確に悟り、避けた――のに、一旦姿勢を持ち直して、平気だ、と歩きだそうとしたクリステルは、わざわざオレのいるほうに倒れてきた。
 当然、クリスタルの身体を受け止めさせられるオレ、という構図が完成する。ヒロイン教に染まった目玉から見ると、クリステルを心配し、自ら進んでその身体を受け止めた、だ。
 なんだこれは。
 何の罰ゲームだ。

 ――その日、オレは、幻術をかけてくれた魔獣に心からの感謝を捧げた。内容の真偽はともかく、あることをオレに気づかせてくれた。
 


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