16. カーツ、喜ぶ
「何をしているんですの? ロシェル」 オレの首筋に刃物を突きつけている女が、ロシェルに呼びかけた。女の顔はオレからは当然見えない。しかし、おそらくは、賭けゲームでロシェルの相棒だった美女だと思われるが――。 「ロシェル?」 女の呼びかけに、ロシェル、無反応。 「…………」 落ちたリッテのペンダントを拾い上げ、握りしめたロシェルは、沈黙を守っている。
具現化選択肢のせいで、さっきまでのオレの心中も迷いまくっていたが、今、迷っているのはロシェルのほうだろう。なにせ、小娘呼ばわりしていた少女に妹か
もしれない疑惑が発生している。悩め悩め。そして振り切れてこっちの仲間になれ! だが、ヒロイン教に染まるのだけはやめてくれ。ヒロイン教信者が増える
のは勘弁だ……! ……そういえば。 オレは視線を左右上下に動かした。 ――ない。 今はあのウザイ選択肢が消えてい
る。オレの抵抗により、ついにアレの法則が諦めたのか……? それとも、そもそもオレの勘違いで、具現化選択肢とアレの法則との間に関連はなかったとでも
いうのか……。あるいは、ハンス……。ハンスがいなくなったら、選択肢も出なくなったとも言える。――ハンス。次に会ったらぶちのめす……前に洗いざらい
吐かせるほうが先決か……。その後でぶちのめすことにしよう。 「ロシェル? こいつらは敵なんでしょう?」 女の声に苛立ちが混ざりはじめた。ため息をつくと、 「――いいわ」 一人で何やら結論を出した。 「自分で片付けることにいたしましょう。新作の術も試したいことですし」 おお、そうか。 女が自分で戦うのか。ならば、オレは自由の身になるということか? 刃物の感触が首筋から離れた。 「さあ――」 「……っ?」 女の指が、オレの口に突っ込まれた。しかも、血の味がする。自分の指をわざと傷つけでもしておいたのか? 唾と共に血を飲み込んでしまった。当然だが、オレに吸血の趣味などない。吐き出したい。 女は何やら呪文を唱えている。これは早口言葉な魔法――いや独自に改変した魔術かもしれない。新作の術を試したい……と女は言っていたな。 考えられるのは、術者の血を触媒とした魔術。問題はどんな魔術か……。 「さあ、あなた? 思う存分戦って? まずは――」 どういうことだ? オレは、完全に自由の身になっていた。振り返ると、女は顎に人差し指をあて、エセ聖女、クリステルを指差したところだった。 「あの娘」 そして、事態は一変した。
「クリステル様!」 跳躍し、オレがエセ聖女に向けた渾身の攻撃を、リッテが防ごうとし、 「……あなた、何なんですか……?」 そんなリッテを庇って、前に立ったロシェル。 「カーツ、どうして……」 二人に庇われたエセ聖女が唇を震わせて呟く。 「ミレイ! 術を解け!」 そしてロシェルが女に命令。 「ロシェル? 敵を庇うなんて……。ということは、あなたも敵なのかしら?」 女はロシェルに従う気配微塵もない。
オレは無表情にロシェルと剣を斬り交わしている。その間に、ロシェルと女の会話で女がオレにかけた魔術についての詳細が判明した。 強力な魅了の魔術らしい。魅了。これにかかった者は秩序を失った行動しかとらず、戦闘メンバーにいようものなら治療してやらないと味方を攻撃する、実に厄介な代物だ。 使ってくる敵は、モンスターを含めて滅多にいないので、オレたち一行も忘れた頃にやられたりした。しかもそんな時に限ってこれまた滅多に戦闘メンバーに入
れていないエセ聖女や貴族ボンボンが戦闘メンバーで、敵に貴族ボンボンが魅了され、オレに攻撃をしかけてくるという……。あいつはてこでもエセ聖女を攻撃
しない野郎だった……。 あの時は戦列が崩壊し、全滅を覚悟したほどだった。幸い、戦闘メンバーにいたリッテの活躍によって救われたが。 ――
女がオレにかけた魅了には、術者以外を敵とみなす、という改変が加えられているらしい。さらに、簡単にだが、術者の命令も聞き入れるようになっている。オ
レがエセ聖女を真っ先に攻撃したのもそのせいだ。……断じて、単にオレが攻撃したかったからではない。本当だ。偽紙幣を賭けてもいい。 「……それじゃあ、さっきカーツさんが私を攻撃したのも……?」 リッテが呟いたが、 「仲間を攻撃させるなんて……。許せない……!」 エセ聖女の怒りの声とかぶった。 「カーツ……。あなたが苦しんでいるのが、わかります……」 一転、エセ聖女が悲しげに目を伏せる。どこからか吹き込んできた風が、エセ聖女の背から散った羽を舞い上がらせた。 「…………」 オレは無心に攻撃している。エセ聖女を守ろうとするリッテ、さらにそれを守ろうとするロシェル、の順なので、主にロシェルと戦っている。 ロシェルが手加減しているのもあるだろうが、この魅了、対象の身体能力を引き出す効果も含まれているように思う。身体がとても軽い。 ……心も軽いぞ。 実は、この魅了の魔術、ちょっと頑張れば破れそうなかかり具合でしかない。 ついかかった気分になっていたが、オレは精神系の攻撃に強いんだった。強い耐性がある。魅了、洗脳、睡眠等……素でかからない。 よって、現在の割合は、オレの意思を十として、魅了にかかっている割合は三程度だ。 最初のエセ聖女へ向けた一撃では、魅了の割合は八ほどだったが、一撃後はオレも我にかえっている。 しかし、完全にかかったフリをしている。 何故か……。 女を油断させるのが当初の目的だった。ただし、そんな目的はオレの中で吹き飛んでしまっている。 ――魅了とは、素晴らしいものだ。 こうして、堂々とエセ聖女と敵対できている。 この状況を素晴らしいと言わずして何と言う! 「カーツ、お願い。目を覚まして……! 打ち勝って……!」 「…………」 「無駄だ……。ミレイの魔術は強い」 「うふふ。そのとおり。どんなに呼びかけても無駄よ」 「カーツさん、心まで、操られて……?」
すまないリッテ。あまり操られていない。 オレが無表情なのにたいした意味はない。 むしろ心の中は喜びで満たされている。 ――エセ聖女と敵対するのはとても気分が良い……!
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